寺宝・ご本尊

ご宝号とご真言

ご宝号
神仏のお名前をご宝号といい、「南無(namas・なむ)~~~」と唱えます。
南無とは「帰命」「敬礼」などと訳され、まごころをこめて神仏を敬い、すべておまかせし、信を捧げることを意味します。
ご真言
人間は言葉や文字により、考え、表現し、伝え、残すことができます。
それらはただ単に思惟するための手段・方法としてあるだけではありません。
人はある時、言葉や音・文字は事物のありのままの姿を示していること、そしてその中に本質としての真実の力が内蔵されていることに気づきました。
それが言語をこえた「真言」(しんごん・マントラ)です。
「真言」(mantra・मन्त्र ・マントラ)は、呪(じゅ)・神呪(じんじゅ)・陀羅尼(だらに)などとも称され、思考・祈祷・讃歌・呪文などと訳されます。 起源は古く、インドのヴェーダにもみられ、“man”は「思念する」ことを,“ tra” は「器物」をさし,“mantra”とは,これによって神の徳を思念することができるもの、を意味します。
徳とそれらのはたらきを表すことば・文字なのです。そして“man”「想うもの」を “ tra”「救う」とも説かれます。
中国では呪は「祝」といい、神に告げる言葉、日本では「音霊」(おとたま)「言霊」(ことたま)として尊ばれます。
「真理言説」(しんりごんぜつ)、真理の言葉であり真実を語ること・正しい導き、聖なる言葉「まこと(真言)」なのです。
語ること、言葉、音は、現実の世界の中で具体化されます。
悪い思いや否定的な中傷や誹謗は、人を暗黒へと引き摺り下ろし、肯定的で愛に満ちた心と言葉は、世界と魂を平和や幸福へと導き輝かせてくれます。
いつも純粋で正しく、暖かい心を保ち、いい言葉で表現し、徳を行う奉仕を積み重ねていくことが、生きた”マントラ”であり、一人ひとりの存在自身が、真言として響きあい、すべてを目覚めさせていく原動力となります。