Posts published on 7月 2016

この道を行く意味を。

ことのは つづり, 祈り, 想い

こちらのブログを開設するに至って、たくさん伝えていきたい想いというのがありました。
その想いを、少しずつお伝えしていけたらいいなと、思います。

まず、こちらのブログを担当しているのは、僧侶や神主や牧師のような立場にいるものでもなく、行者でもありません。
神仏習合の道場という、ちょっと日常より濃いめの祈りの環境にいる時間が長い中で、日々感じること、今までなかなか表に出なかった、そして出せなかった想いを、いち人間が、その目線と視点から、率直に綴っています。

ですので、ブログ、また主なフェイスブック投稿の内容についての窓口は、私Anjuまでお願い致します!

祈りは、日常の中に根付き、誰もが毎日祈りの中で生活していると思います。

「行ってらっしゃい。気をつけてね」
「あの人元気にしてるかな?」
「お誕生日おめでとう!」
「体調、早く治してね」
「すっごく心配したんだよ」
「また会いたい!また会おうね!」
「おかえり、無事で良かった!」
「元気に健康で産まれてきてね」
「おはよう」「おやすみ」

「ありがとう」「ごめんね」「愛してる」「あなたがいてくれて本当に良かった」

日々何気なく発している言葉や、人との会話、時たま叱られる言葉の中には、その人を想う祈りで満ちています。
山、木、石…自然の中に神仏の存在を感じ、自然に向かって手を合わせる精神を持つ日本人のスピリット、日本語の言い回しや漢字に込められた深い意味、季節に沿った伝統や風習、日本古来食の身土不二の極意、全てには、神仏と自然と人の繋がりと共存を感じることができます。

まさに「一如」

<良道(よしみち)書>

それは、修行にも言えることだと思います。

性別、職業、出身地など、全てを脱ぎ捨てると、そこに残るのは「心」です。
その心で、神仏 自然 人と向き合い繋がっていくこと。

本当の修行とは、普段の日常生活を丁寧に生き、世のため人のために、何が出来るのか考え行動し、自分を家族を周りの人達を大事にし、自然や地域や社会の中で、毎日を生きること。
与えられた命を、命をかけて生きること。

日常をどう生きるかこそが、修行の最もな基本であるのではないかと。
だから何も特別な荒行をすることだけが、えらいのでは決してありません。

もちろん、そこには例えば「修験」と名のつく、言えば一筋の道があります。
そこには例えば、その道を行く人が身につける基本的な作法や、着衣や、持ち物があります。

でも何が一番大切か。
それは、例えば資格があることではなく、例えば衣装を着ていることではなく、例えば護摩を作法通りたけることではなく、例えばお経を1から10まで唱えれることでは本来なくて…

そこに「心」があるかどうかです。

何のために誰のために「祈る」のか。

修験という道の素晴らしいな、と感じることの1つとして、それは理論の前にまず体感があり、例えば自然に入りそこで実際体感し腑に落ちたことは、心身に確実に刻まれていくこと。

自然が教えてくれるcircle of lifeと陰陽そのもの、神仏 自然 人との一体感、自分の内面を見つめ+−のバランスを整え満たすことで、人の幸せを想う力が満ちていくこと。

別の言い方をすれば、本来、身1つで歩める道であると思うのです。
何も無くても、そこに心があれば、心さえあれば、祈りの道は必ず繋がっている。
お経を知らなくても(そんな私はお経は全く覚えていません)、心の底からの想いを神仏に伝えること、相手に伝えること、それが既に最強の祈りの言葉だと思います。

もっと言うと、本来…修験は行者さんだけの道ではなく、全ての人の生活に溢れる祈りの道であると思います。ただ「修験」なんていうカッコイイ名がついてしまっているだけ。

手段として、そこには例えばそれぞれ意味のある作法や着衣や道具があると思うのですが、それはほんの、ほんの一部のこと。
一番大切な、なぜこの道を行くのか、なぜ祈るのかという目的を忘れないことだと切実に感じます。

「目的」と「手段」を逆転させてはいけない、と。

神仏への限界のない真心、自然への敬い、一緒にこの地球で生きる全ての人との縁への感謝。

「今、ここで生かされている」ことの奇跡と事実を噛み締めること。

時代とともに、形や方法が変わることもある、時代が流れても、変わらない真実がある。

当山も、時代とともに、そして変えていきたいと願う所、変わるべき所は、1日1mmのスピードかもしれませんが、変わってきている真っ最中です。
でも、例えば1年後の目に見えて進んでいてほしい36.5cm、そのために、私達自身も意識の変革、見つめ直す必要のある多くの課題を1つずつクリアーにしていっている過程にあります。
だからこそ、変わらず流れる祈りの心というものは、今まで以上にキチンと、伝え繋げていきたい、そしてその想いを、こちらのブログからも、皆さんとシェアしていきたいと心から願っています。

何の為にこの道に入ったのか?
何かしら、必ず想いがあって、求める道があって、ご縁があって、この道を皆一緒に歩んでいるのです。

道の始まりが苦しみであっても、喜びであっても、今の道が幸せに満ちた道であってほしい。
人のため、世のための幸せを願える道であってほしい。
そこには自分、人、自然、そして神仏への愛が、根本にあってほしい。

数えきれないほどの方達とのご縁で繋がれてきた、深い深い想いと祈りで繋がれてきた、この祈りの道を、今一度初心に戻り、一緒に築いていきたいです。

もう一度。

なぜ、この道を行くのですか?

心、はどこにありますか?

この祈りの道を、もっともっと信心の心で満たしていきたい、一人でも多くの人の幸せに繋げていきたい、ただただその一心です。

Anju

祈りとは

ボーダーレス, ことのは つづり, 祈り, 想い, インターナショナル, 修行

Takigyo-Waterfall meditation-

言葉や国境や人種を越えて、心と心で繋がる想いがあること、繋がる祈りがあること。

性別・職業・出身地…色んなことを脱ぎ捨てると、そこに残るのは心です。

その心で、神仏・自然・人間と真信に繋がっていきたい。向き合っていきたい。

何故修行をするのですか?
何のため、誰のために祈るのですか?
何故、この修験という道に入ったのですか?

祈りについて、想いについて、修験の在り方について、今大きな転機の期がきています。初心に戻る必要があるのではないでしょうか。

なぜ錫杖を振るのか、なぜお経を唱えるのか、なぜ山に入るのか、なぜ護摩をたくのか。

なぜ、この道を行くのか。
心、はどこにあるのか。

皆さんにとって
祈り、とは何ですか?

そこに「心」はありますか?

Anju

心はどこにあるか

ことのは つづり, 縁の下の力持ち, 祈り, 季節, 行事, 聖地, 修行, 大峰山

Heading to okugake pilgrimage
今朝4時、36名(5名は大峰山上で合流)の修行者の皆さんが当山を出発されました。


今年はドイツ、オーストリアからの参加者もあり、今までとはまた違った風が吹く年となりました。

サポート隊にも、ご奉仕を志願して下さったドイツ人女性の存在が大きく、非常に心強かったです。
日本語 英語 ドイツ語が飛び交う館内!

祈る道に国境はありません。
祈る対象が何であれ、そこにあるのは心。
祈る心に、人種や言葉の壁はありません。

1番大切なことは、心がどこにあるのか。

皆さんが無事に、誰1人怪我なく事故なく帰ってこられますように。

必要な気付きのある実りある修行となりますように。
多くの方の幸せを繋げる祈りの道となりますように。

We are opening our gate to the world towards peace and unconditional, unlimited love and love and.. LOVE

Anju