さい帯血バンク

微力か、無力か

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微力か、無力か

「祈りは、効きますか?」
というご質問を、お受けすることがあります。
お寺という場所は、医療に従事されている方、心身の病と向き合っておられる方、そのご家族の方々と関わりを頂くことが多く、日々「祈りと医療」の結びについて深く考えさせられます。

病気・災害・戦争だけではなく、メンタルの不調、もっと言うと「生きている」だけで苦しい、と形として表には出ないものと直面してる方が増える現代社会。

祈りに何ができるんだろう、お寺はどう寄り添い、何を「提供」「提案」できるだろう、と長年考える機会を頂いています。

叶うなら…祈ることで病気が完治して生きてほしい、と私たちも現場で日々願うことです。

でも実際は、祈りだけで骨折を治すことも、怪我の出血を止めることもできないし、祈りで死人を生き返らせることも、できません。

人間の現実的な努力や、医師や専門家の物理的な技術もあってこそ、一如と考えさせられます。

そして、必ず「祈る」「信じる」ことの心の支えや、「想う」ことが力となります。

神仏・中取持(僧侶や神職)・祈願者、そして共に携わる方々の働きや気持ちが揃って、三位一体で、物事が調っていく。

きっと、どれかが欠けても、祈りは成り立たないのではないでしょうか。

喜びを倍に
苦しみや悲しみを半分に-

「苦しまずに、最期を迎えれた」
「余命が少し伸びて、遠方の家族が間に合って皆で見送れた」
「闘病の支えになってる」

祈る行為は、微力か、無力か。
いずれも、「想いは必ず力になる」ことは、偉大な真実です。

4年ぶりに、本来の形に戻った、大峯山戸開式の法要。

山上参籠所の戸開準備で、ご奉仕で登って下さっていた行者たちも、順次無事下山中。

山から帰って来られる皆様の目の輝きは、素晴らしいです。

(櫻本坊 大峯山上参籠所 坊守撮影)

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Merry Merry Christmas✨✨✨

生死や環境問題や差別・格差・戦争を、他人事として捉えないよう、意識を常にもてるように。

無知識や無責任よりも、無関心が、最も冷酷となる。

そんな冷酷さが支配する社会の荒波の中であっても、誰と共に乗船し、どんな航海を目指すのか…自らが灯台の光となり、まずは周りの世界と人々の心を照らせるように。

1日も早く、恐怖や不安よりも、喜びや安心に包まれる日常が、私たち皆でシェアするこの時間と、この星に広がっていきますように🕊
with love,
メリークリスマス✨

死は、特別でない、当たり前のこと

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昨日6日、兵庫県 甲南大学にて 「死生学 〜日本の死生観②〜」の講義をさせて頂きました。
身近な家族や友人・パートナーという大切な人の死とどう向き合い、どう「今」を捉えていくか-

このように教壇に立ち「死生観」をお話することは、誰にでも出来ます。

身近な「死」を経験することは、遅かれ早かれ、平等に全員が経験することだからです。

死は、特別でない、当たり前のことー
生きることは、かけがえなく特別で、当たり前じゃないことー

その事実を変えることはできないと知った時、では、皆さんは、生きることを諦めますか?
それとも、その事実があるからこそ、今日をどう生きたい、と願いますか?

命をことぶく「寿命だった」と、言われる人生の、幸せに気づく。

学生さん達からのフィードバックに「私たちの背中をそっと押してくださるお話だった」とあり、積み重ねてきた想いを信じて、それが相手の頭ではなく、心に入ったと知れると、感謝の気持ちが溢れました。

毎年、懸命に聞いて下さる、学生さん達の真摯な姿勢と眼差しと向き合えること、櫻本坊にとって大きな宝です。