Posts published on 7月 2025

奥駈修行 道中の様子をご紹介

悠然, ボーダーレス, ことのは つづり, 縁の下の力持ち, 祈り, 季節, 祭禮, 行事, 想い, 祈りと医学, インターナショナル, 植物&食物, 聖地, 神仏, お守り, 修行, 大峰山, ことば, リトリート

令和7年度 奥駈修行 道中の様子をご紹介
一歩、一歩。
役行者が歩いた道を、共に。

ひとりひとりの想いが、同行する皆と重なっていく。
法螺貝にのる、祈りの声の、美しさ。

自然の大きさ。人間の小ささ。

人間の一生が、いかに短いのかを考えさせられます。
大切にすべきことを、人を、今を、大切に。
見つめる先に。
想いを向ける先に。

常に危険と隣り合わせな道中。
次の一歩に迷った時、そこに必ずある、手や足をかけれる窪や石、木の根っこたちの存在。

自然が、導いてくれる。
同じ道を歩かれた、数え切れない先代たちが導いてくれる。

これ以上ない、ありがたさ。

修行者全員で行う、各靡での勤行。

その目的が、自己顕示でないことは、明らかな行。
祈りは、自己のためだけにあるものではありません。

一緒に想い合い、一緒に祈り合い、一緒に生きている、私たち。

他者の喜びを倍に、悲しみや苦しみを半分に。

顔の見えないところで、誰かが誰かのために、全員のために、祈りが捧げ続けられていることの、純粋さ。

修行者を包み込む、大自然の包容力。

手入れの行き届いた、庭園の花々や木々も大変美しいです。手入れされる方々の御心や配慮が伝わり、心洗われます。

同時に、自然の中の花々や木々の姿…例えばワイルドな大小のツツジや、背の高さが不揃いな樹木たち。

ありのまま。そのまんま。
その美しさも、庭園に劣らず、素敵です。

自然は、偽ろうとしない。
私たちも、自然を変えようとしない。

見方を変えると見えてくる、いろんな美しさ。
そこを「美しい」と思える心。

多様性とは何かを、真摯に教えてくれる、大自然という大先生に抱かれる幸せ。

“Everything you imagine is real.”
もちろん、行動あってこそ。

自分の足と目と肌…六根で、心で、その時そこで、実感実践すること。
極めてアナログな世界、それが修験道。
目標を、理想にしない。
期待はしないが、希望は持つ。
理解はするが、賛成はしない。

今年よく目に入る言葉です。

パッと言葉だけ見ると、冷たく自分勝手なように見えますが、順番を変えると、「言葉」の捉え方・見方の多様さと、「言いたい事」と「言い方」を分けて考えることの重要性に気付かされます。

理想を、目標としない。
希望は持つが、期待はしない。
賛成はしないが、理解はする。

言葉は、真実の全てではないこと、「伝えたいこと」の全部ではないことを、今一度気付かされます。

「言わない勇気」も必要な場面に出会う時、何を観察し、どの感覚を信じるか。また、自身も、どのようでありたいか。

人の後ろ姿、背中が答えのひとつであると、毎回感じることです。

背は、目は、口ほどに物を言う。
見る人は、ちゃんと見てくださっています。
神仏を含め✨

そんな勇気と自信を与えてくれる、山という学校、処方箋薬局、そしてスイートホーム🏔️
最初から、
完璧じゃなくていい
完璧を求めなくていい
完璧を目指さなくていい

そう安心させてくれる、自然の力✨

道中の、束の間の休憩時間や、先達の打合時間、各所・各行の説明時間。

同行(どうぎょう)する仲間との出会いも、当たり前ではない、尊いご縁。
共にするどの時間も、当たり前ではない、尊い時間。
生き生かされている、当たり前と思ってはいけない、実感。

Photo by Banri
(上から3枚目のみ Photo by N.H)

思い出

悠然, ボーダーレス, ことのは つづり, 縁の下の力持ち, 祈り, 季節, 想い, 祈りと医学, インターナショナル, 植物&食物, 聖地, 神仏, 修行, 大峰山, ことば, リトリート

大峯山 入峰修行を満行し、里に帰山する講社で賑わう週末・祝日の様子ー

「行者さん!ひさしぶり!」
と、ご本尊様に、晴れやかな表情で声をかけられる方もいらっしゃれば、
「行者さん。今年も何とか来れたでぇ。」
と、ご本尊様に、話しかけるように、人生のさまざまな報告をされるように、静かに座られている方もいらっしゃいます。

満面の笑みに見える。
厳しく怒られているように見える。

ご本尊様の表情は、その時々によって、みなが感じることは違います。

「役行者はどこにいる?」
「どこに行けば会える?」

思うことも、答えも、探究の道も、人の数だけあるでしょう。

彼の存在を、山の中に見出すのか、ご仏像に重ねるのか、日常の至る箇所で「仮の姿」で現れ導いてくれる時に、「教え」として存在を感じるのか。

山の行、里の行。
どちらも大切な行いで、日々の積み重ね。

役行者に限らず、神仏は、特定の場所や時期にだけに会える存在ではない、と強く感じることです。

いつもいつも、心に想えば、神仏は、いつもそこにいる。

大切な家族や人達を想うように、そのあたたかい絆は、生涯を通して寄り添ってくれる、かけがえない、思い出の積み重ねでもあると、思うのです。

心に描いていないものは存在しない

悠然, ボーダーレス, ことのは つづり, 縁の下の力持ち, 祈り, 季節, 想い, 祈りと医学, 講演, インターナショナル, 植物&食物, 聖地, 修行, 大峰山, ことば

心に描いていないものは、目の前の現実に存在しない。

すべては、心が作り上げる。

好きな人も苦手な人も、好物の食べ物も嫌いな食べ物も。
心に描き、想像する(思い出す)と、体が勝手に反応します。
目の前にある、同じ時間が、気持ちひとつで、全く別の世界になってしまう。

雲の形や動きを見ていても、何に見えるか、人によってそれぞれ違います。

今日も自然が教えてくれる、沢山の教えの数々。