悠然

みなが、実践者

悠然, ボーダーレス, ことのは つづり, 祈り, 季節, 想い, 祈りと医学, インターナショナル, 植物&食物, 聖地, 神仏, 修行, 大峰山, ことば

みなが、実践者

ひとりひとりにとって、何をもって「修行」と呼ぶかは、十人十色

山に入ること、なのか。
山を歩くこと、なのか。
山頂に辿り着くこと、なのか。

写経写仏をすること、なのか。
沐浴行をすること、なのか。
瞑想をすること、なのか。
もっといえば、社寺に向かうこと、なのか。

修行、はその漢字の通り、「生きる行いを修める」ことです。

人間の間で、人として、日常・家庭・社会・人生を生きることは、形のない…最も尊く、シンプルで、難しい「行い」。

そこに持って帰り活かせる気付きを、あくまでも「提案」するのが、我々社寺の大切な役割のひとつです。

何をもって「修行」と呼ぶのかー

他者の物差し・評価や、動作の大小ではなく、自分自身で決めて、誠実に実践し続ければいい。

天(神仏)が知っていて、自分自身が知っていて、愛する人たちが知ってくれているだけで、充分以上に…意味と意義のあること、ではないでしょうか

……
JALのワーケーション体験の取材・撮影にご協力させて頂きました。関係者皆様、ありがとうございました。

動画: 世界遺産「吉野山」でJAL社員が心身浄化!?絶景と修行でリフレッシュ【奈良県】↓
https://m.youtube.com/watch?v=gNDKc1DqWY8

真の自由とは

悠然, ボーダーレス, ことのは つづり, 縁の下の力持ち, 祈り, 季節, 行事, 想い, 祈りと医学, 講演, インターナショナル, 植物&食物, 聖地, 神仏, 修行, 大峰山, ことば, リトリート

真の自由とは

人として、おさめるべき義務と、責任を果たすうえである「自由」
自分が、ありのまま自分らしくいることに、最初から最後まで責任を持てること、それが「自由」ー

どんどん自由になれる時もあれば、どんどん不自由だと感じる生き方に進んでしまう場合もあります。

そこの大きな違いは、いま自分らしくいれるまでの、ワタシを突き動かしてきたもの、をどれだけ受け入れ、また手離してこれたか…ではないでしょうか。

そこにはきっと、怒りがあり、悲しみがあり、悔しさややるせなさもあり。
でも、それらの感情や経験は、悪いことばかりではありません。

例えば、許すことは、誰か相手を許すことというよりも、怒りを持っている自分を受け入れて、そんな自分をまずは許すこと。

受け入れることも、自由。
手離すことも、自由。

何事も、自分の意志で、選択し、決断していくことが、生きるという行いの根底にあります。

…….
写真は、修行(研修)のワンシーン。
瞑想〜登拝〜沐浴行〜五体投地 礼拝行〜護摩法要、そしてシェアリングと続きました。
ご参加された皆さまの、明日に活かせる気づきや、人への恩送りに結ばれていきますようにー

あなたにとって “HOME” とは

悠然, ボーダーレス, ことのは つづり, 縁の下の力持ち, 祈り, 行事, 想い, 祈りと医学, インターナショナル, 植物&食物, 聖地, 神仏, 修行, ことば, リトリート

あなたにとって “HOME” とは

「来山(らいざん)」よりも、「帰山(きざん)」という言葉を、我々はよく使います。

場所(家・思い入れのある所・故郷)
人(家族・恋人・師匠・親友)
記憶(思い出)
言葉(約束・スローガン・夢)
感覚(ハグ・懐かしい匂い・音楽)
など…さまざまな形で、“HOME” と呼べる存在があります。

「ただいま」「帰ってきました」とご帰山されるお姿に、「おかえりなさい」とお迎えすることの、社寺としての役割に、あらためて気付かされます。

いつでも、どこにいても、どんなに(距離・時間)離れていても、神仏と繋がっている黄金の糸がある。

各々の日常・社会・家庭で、その糸柱を太くし、輝き磨き続けるために…今日を前向きに生きるチカラを起こす、皆さまにとって、そんな“HOME” でありたいと、微力ではありますが願ってやみません。
……
近年では、お寺への入門を得度受戒会という形で結縁される方が増えています。
得度受戒会で学んだ心構えを、見えない所で共に実行してくださる姿こそ、道を学ぶ者が決して忘れてはいけない姿勢です

人が見ていなくても、天(神仏)は観ていて知っている。そして、自分自身が知っている。
自己との対話は、神仏との会話でもあります。

真の奉仕とは、このような沈黙の部分にこそ、最も光が射し込むように思います。

写真は、大講堂お清めのご奉仕の様子
ありがとうございます
夜の光と香の瞑想時間 於 大講堂