修行

きほんの「き」

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きほんの「き」

櫻本坊では「心の教育」部分も重要視しています。

得度式や、各行事 法要神事を通して問われる「心構え」「心の向ける方向」は当然ですが、では、普段の当たり前から擦り込んでいく「想いやり」の心とは-
「当たり前、出来ていますか?」

どの社会でも、最も基本で、最も大切な当たり前、「挨拶」

「挨拶」は禅語で「相手に積極的に歩み寄り(近付き)、相手の心を開き、自分の心を投じ感じて貰う」という意味が含まれます。

かといって、では大きな声で単純に挨拶をすれば良い訳でもなく、状況や環境によっては、声ではなく、アイコンタクトや会釈 笑顔 雰囲気など、相手へ伝えたい自分の想いが形として表れます。

結局はそこに「心」があるかないか。

挨拶一つで、そこに込められる想い一つで、その場にいるお互いの貴重な時間と関係性が、気持ち良くも不愉快にも転じることがある。

ここにも、劇団四季の「慣れ だれ 崩れ」の精神と、その人の「後ろ姿」を見させて頂く機会があります。

同じ「時間」をどう過ごすかは、私たちは皆 選択することができる。

当たり前を、当たり前にする。
基本ができていないと、何をしても結局は伝わらないことが多くある…のを痛感します。

Anju

*実るほど頭を垂れる稲穂かな

塵ひとつない世界

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塵ひとつない世界

お祭りが「感謝」で始まり「感謝」で終わるなか、日々の全ての基本は「清め」で始まり「清め」で終わります。

清め=お掃除をすることは、最も大切な心得です。それは年齢や立場や肩書きによって左右されるものではなく、全員の役割です。また、掃除に終わりはなく、修行に終わりはありません。

「無心になる」ことを1番教えられる時間は、掃除の中にあり、自分の心の中の「ざわざわ」に気付き向き合う時間。

神仏が御坐す聖域-
人間が簡単に立ち入れない「結界」の向こう側の世界は、常に清められ「塵ひとつない」世界
この精神は、茶道の「無塵(むじん)」の世界観にも見られます。

その「無塵の世界」の手前で、可能な限り六根清浄を繰り返しながら、人間として生きている私たち。

清らかなだけでは生きにくい社会の中で、いかに自身の蓮の華を咲かせていくか。そしてその華を咲かせてくれるのは、紛れも無い「泥沼」でもあるということ。

泥沼は、尊い
そして、泥沼は、もがけばもがくほど濁っていきますが、静かに「受け入れ」穏やかであればあるほど、透明度は増していきます。

立つ鳥跡を濁さず、の精神で、真っ先に掃除から始まり掃除で終わる毎日です
Anju

いのちはまわる 〜甲南大学「死生学」講義①〜

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いのちはまわる 〜1日として同じ日はない〜

本日19日は、兵庫県 甲南大学での講義
去年より、非常勤講師として「死生学」の講義 「日本の死生観」のパートを、担当させて頂いております。
様々な分野の教授 研究者 博士の方々が、それぞれの観点から捉える「死生観」-

20歳になるかならないかの「現代を生きる」学生さん達にお伝えしたい、日本の神仏習合の精神性を盛り込みながら、「生きること」「死ぬこと」「命の捉え方」についてお話する90分。

祈りと命は「一如」

どこまでも透明な 星空を見上げた時の胸の高鳴り
花の美しさ 風の色 太陽の暖かさ 雲の動きとカタチ 雨の音 土のにおい 水の流れ…そんな何気ない自然のイノチの動き

偉大な自然との共存の中に、私たちの生命は満ち、絶えず祈られ生かされている私たちの「いのち」-
まさにサークルオブライフの極意。

「祈り」は「宗教」という枠にだけ当てはまるものではないと考えています。

私たちの生命は、どこから来てどこへ向かうのか。
「今」あなたの生命は、どこに在るのか。

極めて現実的で「実践的」である修験道の世界観から、「死」をメインにお伝えするのではなく、「生」を前向きに見つめ直して頂き、「明日からではなく、今から出来ること」を考えるきっかけになれば幸いです

講義は来週も続きます

Anju