修行

雄弁は銀 沈黙は金

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『雄弁は銀 沈黙は金 』

毎年5月に受け入れさせて頂く、奈良学園小学校2年生の生徒さん達の校外学習も、今年で12年目。
お子さんたち1人1人が護摩木にお願い事を書き、護摩に参列し、活発な質疑応答、そして吉野山中「無言の行-Silent Walking-」を、僧侶や山伏の方達と体験します。

「肯定的に願うこと」
「お互いを思いやる気持ち」
「ありがとうの気持ち」
「みんな一緒に生きている」
ということを子供たちに伝えていきたい、という想いから始まりました。

後日、子供達の感想文を読ませて頂く中で、毎年必ず書かれている気づきの多くは「無言の行」から感じたことのようです。

「これから、他の人をもっと思いやることを大切にします」という感想を受け取ることが多く嬉しい限りです

何もしない、何も考えない、ただ黙っていればいい、という否定的な沈黙ではありません。

今 ここで 私は何を考えどう動くべきか、という肯定的な考えを生み出すための沈黙。

つまり内観する時を意識的に作る、を目的とした行

社会の風潮として、言ったもん勝ち、やったもん勝ち、やり返したもん勝ち、のような所があります。

歴史に残ってきた事柄の多くも、どちらかといえば「言葉」と「文章」をより多く残した側のストーリーが主観になっています。

言わなかった側が負けでは決してありません。

「その時すぐ」でなくとも、繋がるべき所で伝わるべき人たちに、”正しく” 必ず届く「想い」こそ、本物の「声」「言霊」です。

何も話さない絵画や写真 書…から発しられる「想い」のエネルギーは嘘をつかないのと同じことです。

本当に他者を思いやれる心を育む。
心得を見直す環境を一緒に築きあげる。

そのお手伝いを、子供たちと一緒にしていけることの幸せを感じる、皐月晴れの日

Anju
靴が並べられている写真を掲載しております。
「当たり前」を当たり前に気持ちよくできる心得に、毎年感動します
ありがとう

「神仏はすべて観ている」

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「神仏はすべて見ている」

昨日 本日の2日間、当山では「得度受戒式」が執り行われています。心新たに生まれ変わり、神仏へ、十の約束(十善戒)を守る誓いをたてる儀式です

……
「誰も見てないし、これでいっか」
そのような気持ちで作務(清め・掃除)や作法をしていると、必ず分かります。

使った後の部屋の状態、靴やスリッパの脱ぎ方、挨拶ひとつにしても、物の持ち方 扱い方、人への接し方… 私たちは、どちらかというと、その人の「後ろ姿」を見させて頂くことが多いです。

人が見ている所だけ、人が見ている時だけ、大げさなほど ちゃんとする。そのような気持ちの方は、すぐに分かります。

誰も見ていない所、誰も見ていない時も、損得や見返りを考えず、怠らず行動する心(陰徳: 陰の徳を積む)。

あまり表に出る部分ではありません。
でも、そういう心構えの方は、何も言わなくても分かるものです。後ろ姿に、気持ち良いそよ風がふいています。

誰も見ていない?
いいえ。必ず見ている方々がおられます。

そして、自身の心が1番よく知っているはず。

トイレにも、神様がおられます。
トイレを綺麗に使い、掃除することほど、尊い奉仕はありません。

人が嫌がることを、心を込めて実践していく。
この世に「雑な用事: 雑用」はありません。
すべて気持ちのこもる尊い作業です。

「次使う人のために。次の人が気持ちよく使ってもらえるように」
この小さな何気ない気持ちこそ、日常の大きな「祈り」であり、人への「思いやり」です。
……

誰もいない誰も見ていない時こそ、自分への問いかけ、そして神仏との尊い対話の時間を、大切に

Anju

戸が開く 光が放たれる -大峰山 戸開式-

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戸が開く 光が放たれる
漆黒の闇に包まれる静寂な 本日午前3:00より、大峰山上にて、戸開式が厳修されました。

本日5月3日から9月23日まで、修験道根本道場である大峰山は開山しております。

万葉時代の日…大峰山上にて、役行者は、どの神仏よりも厳しいお姿を追及され、ついに金剛蔵王大権現を祈りだされました。

そして、後世「修験道」と名付けられた、世界の平和と、命ある全てのものの幸せを祈る「道」が誕生しました。

それから1300年以上の時の流れの中で、継がれ続ける祈り。時代の弾圧を受け衰退をしては、必ず再興され、今なお 神仏習合の形を継承し続ける道。

修験道の修行は、決して自分のためだけのものでも、自分1人でしているものでもありません。
まして、修行をしているから「その人」が偉いわけでもありません。

最も尊ぶべきは神仏であることを第一に、他者と社会のためにどう動くべきかを考え、心の向けどころを決して間違えてはならないのが「修験道」を歩む者の心得です。

過去 現在 未来をお救い下さるという蔵王権現。
生きている「今」こそ「過去」であり「現在」であり「未来」。時間も一如です。

修験道は、与えられた命の「今を生きる」行いを修めていくこと。

浄く 明るく 正しく まっ直ぐ、今できる100%で今日を生きること

修験道だけでなく、誰もが求める「幸せのためにどう生きるか」という道。その道標べの1つの聖地が輝きを増す夏が、今年も始まります

Anju