行事

本当にそれは汚くて醜いこと?

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今月のイヒカ塾(12/13) 「烏枢沙摩明王 ~氣枯れと清めのお話~」をご受講下さった皆さま、ありがとうございました✨

「トイレの神様」として広く知られる烏枢沙摩明王ですが、その大変慈悲深い真の姿を、あらためて知る機会はそう多くありません。

また、神道と仏教が考える、それぞれの「穢れ」についてあらためて知っていくと、いかに私たち人間は無意識のうちに、固定概念や思い込みの中で生きてるのかを実感させられます。

「清らかで綺麗」「汚くて醜い」

私たちが無意識に区別してしまっていることが、日常でも数多くあります。

そして、その無意識のジャッジが、自分のためにならない行為を生み出す原因となってしまうことが、数多く存在します。

「一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)」
この世の全ては、心が造り出す。
逆に思わないことは、存在しない。

本当にそれは、汚くて醜いこと?
という問いかけを、投げかけたい。

善の反対は、不善です。
そもそも、悪はあってないようなもの。

自分にとって、自分からみて、自分の都合で考えると…その視点しかないと、全てが自分と対立しているように思うのは当然のこと。

自分が正しくて相手が悪い(間違っている)、と無意識にジャッジする心が、穢れ(気枯れ)の大きな要因となるのではないでしょうか。

写真は、「トイレはお堂!」というテーマ内でのワンスライド✨
山の中にも「トイレの作法」があり、昔と今とどう変わってきたか…についてお話しているところです✨

イヒカ塾では、日常で実践していける学びを、様々な観点から楽しくお伝えしています✨
来年も、皆さまのご受講を心よりお待ち申し上げます✨

<<令和8年度 イヒカ塾日程>>
3/21(土) 「役行者に会いにいく」
5/23(土) 「印による結びのちから」
7/18(土) 「山という鏡」
10/17(土) 「聖地・吉野を巡る!〜奥千本・上町〜※課外学習(遠足)」
11/21(土) 「聖地・吉野を巡る!〜中町・下町〜※課外学習(遠足)」

のぼり旗奉納のご案内 〜十一面観世音菩薩(吉野聖天尊 ご本地仏)大修理記念〜

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のぼり旗奉納のご案内
〜十一面観世音菩薩(吉野聖天尊 ご本地仏)大修理記念〜

聖天堂にて、聖天(歓喜天)様と共にお厨子の中で祀られる、聖天様のご本地仏 秘仏 十一面観世音菩薩様のご仏像は、江戸時代に修理されて以来、数百年ぶりの修理が必要となりました。

吉野に寄せられてきた、深い信仰を長く見守り伝えてこられた「地域の宝佛」として、吉野山に存する木彫像としては屈指の古像であり、今後も吉野の歴史研究の進展に大きく寄与することが期待されることが、近年の調査でも更に明らかとなりました。

この度、ご仏像の大修理勧進活動の一貫として、奉納用の幟旗(2種)をご用意致しました。
幟旗には、ご芳名をお入れして参道・境内に掲揚します。

皆様のご賛同を賜わりますよう、よろしくお願い申し上げます。

🔸掲揚場所: 南参道階段 及び 仁王門沿い
※位置の指定はできません

🔸掲揚期間: お申し込みより5年
※令和8年1月より順次掲楊開始

🔸奉納料: 幟旗1本につき 1万円

🔸募集期間: 随時受付中

🔸申込方法: メール・Fax・お電話・授与所にて直接、などご都合の良い形でお申込みいただけます。

お気軽にお問い合わせください✨

オンラインからお申込ご希望の方は、詳細・申込用紙ダウンロード含め、下記リンク先(櫻本坊公式HP)よりご確認していただけます。
https://sakuramotobou.or.jp/event/2026/noboribata11.html

何かを伝えることよりも大切なこと

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兵庫県 甲南大学にて 「死生学 〜日本の死生観〜」の講義をさせて頂きました。

将来、臨床心理士・公認心理師・心理カウンセラーを目指す生徒さんが多く受講されている、こちらの講義。

家族や友人・パートナーという、大切な人の「死」を経験することは、遅かれ早かれ、平等に全員に訪れること。

その「いつか」の順番が、自分にきたとき。
その「いつか」を迎え、どう死を捉え、生の覚悟へと繋がていけるかを、懸命に模索している人が、目の前に現れたとき。

もちろん、精神と身体を引っ張り上げていく、言葉のチョイスや、専門的な技術は必須です。

でも同時に、忘れないでほしい、心に留めておいてほしい、と皆さんへ願うのは、諦めずに「心を向ける」こと。

薬や治療法があったとしても、それだけ処方して、それだけ飲んでいればいい、というものではないこと。

精神と身体は医療で救えても、心がなければ救えないのが、心なんだよ、ということ。

お寺は医療従事者ではないけれど、祈りのクリニックとしての役割があります。

日々、心身の当病平癒のご祈祷相談が最も多い祈祷寺として、死生観について深く考えさせられる現場にいて、何かを「伝える」こと以上に、「聴く」ことも、相手の生きる力に繋がると、気づかされました。

祈る時間は、聴く時間でもある。

ご家族の当病平癒祈願でお参りに来られていた方が、「物理的に命は救えなくても、本人も、私たちも、心は救われた」と仰って下さった一言と、安らかな表情が、今でも忘れられません。

心を救える、心のある「聴く力」を養い、これから人を救っていかれる立場を目指す若い学生さん達の未来を、微力ではありますが、しっかりと支え続けていける寺院でありたいです✨