祭禮

空と大地の通り道

ことのは つづり, 祈り, 季節, 祭禮, 行事, 植物&食物, 神仏

Inari shrine-harvest god-service
a tiny single seed could grow to a huge tree giving us shades to rest in summer days and sunlights through their leaves to comfort in winter days.

Our origins is also a seed, an egg; I wish to be like this single tree.. Could provide lots of sunshine and share the rain drops with the Earth:)

今朝7時より、高倉稲荷大明神の祭礼を行わせて頂きました
梅は、ゆっくりと1輪1輪咲きほころび、祝詞を観ずるかのように鳥が鳴き、そこで感じる風の色に春を見たような気がします

目の前に並ぶ食事が、自分たちの心身を築いてくれている-you are what you eat-
食卓に届くまでの道筋も、目に見えるものではありません

大河の源流と同じく、生命の始まりである土の中の小さな小さな種(seed)と、軸となる根(root)もまた、なかなか表には出ません

雨が降り土や葉が養分となり、太陽が包む光の中で生命を育む植物・食物
その側で共に命を育む幼虫や昆虫達
その生命を見守り、各家庭に届けて下さる農家さんや人の手
だからこそ、優しい気持ちで調理し、その生命を大切に頂く気持ちと感謝の心を忘れない

氣 丹田 精神…
心身を整え、ぐっと踏ん張る力の源を表す漢字には、お米や田んぼが入っています

「氣 血 水」の巡りをスムーズなものにしてくれる、自然からのエネルギーのフィルターとして、私たち人間は、空と大地の通り道に生きている

今日も、皆さんが食卓を囲む時間が、愛に溢れ笑顔で満ち、その生命が喜ぶ時間でありますように

Anju

HAKU

祈り, 季節, 祭禮, 行事, 神仏

-Sarasvati service- Appreciating what rivers bring us, praying that this flow will never stop; its carrying every single life:) yours..and mine:D

本日朝7時より、吉野山弁財天の祭禮を行わせて頂きました。
この日に合わされたような雪深い中、凛とした冷気と鈴のような音色の静けさ。

古代インドのサラスヴァーティー大河の神様がルーツとされています。
「大河」「水」「自然」の偉大さや雄大さを御神体とし、水とその循環がもたらしてくれる、命への恵みに感謝する。

個人的に、川の神様と聞くと、千と千尋の神隠しのハクをイメージします自然そのものに、全てに神様が宿っていることを全身全霊で感じます

どんな大きく長い大河にも、必ずその始まりの一滴の源流がある。

目に見えるのは大河の雄大さだけれども、表に出ない小さな小さな源流の偉大さを知る。

その源流へとあらためて心を向け、一滴一滴の雫に込められた想いと祈りを再確認する。

源流(原点)を大切にすることで、大河は必ず答えてくれる(再生)と信じます。

Anju

はじまりは再び〜天武天皇〜

祈り, 祭禮, 想い

吉野山の紅葉は、今年は特にグラデーションが美しく、雨や霧の中でこその幻想的な風景が、一層心に残る秋になりました。

紅葉吉野駅

11月12日に始まりました、天武天皇御神像 御開帳は、先日の20日に無事結願を迎えることが出来ました。

修験道場ということで、当然ですが役行者さんの存在、神仏の全てを包み込む包容力と厳しさ、計り知れない自然の偉大さというものを、今だからこそ、ヒシヒシと感じることが増えました。

「なぜ修験で、天武天皇なのですか?」
とお聞きする事も同時に増えました。

当山の「はじまり」は、天武天皇(当時は大海人皇子)が夢の中でご覧になった、真冬の雪景色の中の満開の桜から、全てが始まりました。
(詳しくは当山HPの縁起をご参照下さい)

その一夜の夢、その一本の桜から、天武天皇 役行者 角乗和尚(当山第一世)の運命的な出会いへと繋がり、1350年もの時を経て、今に至っています。

天武天皇祭そしてご開帳の意味は、天武天皇へ、 当山櫻本坊を建立して下さった、道を開いて下さったことへの感謝をたたえること。そして、私達人間を導き、この道を繋げ守り続けて下さっている神仏へ感謝を申し上げること。

天武天皇ご神徳法要は、玉串を奉奠しながら、経典を唱えるという、神仏習合の法要神事両方で(共に)執り行われます。

榊

また、天武天皇の元のご神像は、かつてお祀りされていたそうですが、明治廃仏毀釈のさいに行方不明となりました。
岡倉天心デッサンのもと(東博所蔵)、東大寺大仏師(故)小野寺久幸先生と共に、復興させて頂いたのが現在のご神像です。

そのお姿は、神仏習合のシンボルともいえるお姿をされており、右手に笏(しゃく)左手に数珠を持たれ、神主の正装の上に、僧侶のお袈裟をかけておられます。

天武天皇は、「天皇」だけではなく、神道仏教にも精通しておられ、その視点で日本の国づくりをされました。
政治家であり、宗教家であり、また万葉の時代に生きたロマン溢れる歌人でもあったのではないかな、と今回あらためて感銘を受けました。

当山は、この方から始まった場所であり、この方がいなかったら、何も始まっていなかった道であったのだ、と。

時が流れると、どうしても風化していってしまうことがあります。
その時その瞬間は、その人や出来事や想いが主でも、時が経つと忘れていってしまう、忘れられていくことがあります。

その風化する中で、繋がれてきた、繋がれていく志や想いが存在する。
同じ方向を向いて一緒にススム人達と心が存在する。

『何をもって、そう思ったのか、しようとしたのか』

全てには必ず「はじまり」があって、そのはじめ、何を思ってはじまったのか。はじめようと思ったのか。
手段や形が様々な中、きっと、結局はそれは全て「人のため」「世のため」に繋がっているのだと思うのです。

天武天皇が夢を見たことから始まった道があるように、私達も夢をみ、夢を持ち、夢に向かって進んでいく。
意味合いは違っても、最初に持つのは目標という「夢」であり、叶えたいと願う「想い」です。

私達は、目の前のことに必死で、生きることに必死で、そのはじまりを忘れがちになって、なぜこの道を行くのかを忘れがちです。

想い 気持ち 心 がどこにあるのか。

天武天皇の想い、役行者の祈り、この道を行く全ての生きる道。

歩み方は違っても、ススム方向は同じで、人を想い、世を想うその心は繋がっている。

時代によって繋げ方、在り方が変わる事があっても、その最もな根本の「原点」「初心」を忘れなければ、必ず「再生」「再出発」をしていける。

今年の10月1日、聖天祭により、当山は原点に戻りました。
そして11月13日、天武天皇御神徳法要により、再出発という形で…当山の「はじまり」の幕が新たにあがったように感じます。

人と人を結ぶのは、心であり命であるように、神仏と人を結ぶのも、それもまた真心であり魂である、と。

その心と命、真心と魂を繋いでいく意味というものが、全ての「はじまり」の中に満ちているのだと、今年の天武天皇ご神像のお姿を見て、教えられたようにも感じます。

そんな当山の今秋の再生と再出発が、1年後、3年後、5年後、10年後…この道を共に行く一人でも多くの方の心にも伝わり、繋がっていきますように。

Anju