なぜ、私たちは、わざわざ遠い場所に、足を運ぶのだろうか。
なぜ、人は、「言葉に表せない、目に見えない、何か」を求めて、遠くへ旅をするのだろうか。

形として手に入る物は、いずれ手離したり、無くなってしまいますが、形として残らなくても、生涯を通して「のこる」ものも数多くあります。

教科書や古文書などの記録を見ると、聖地と呼ばれる山や社寺へ、身分関係なく、人々は自分の足で歩いて、詣でて参りました。
わざわざ、遠く、時には不便な場所へも、しんどい思いをしながら、歩いて行きました。
向かう聖地には、大変尊い功徳が宿っている。
その功徳や加護を頂くために、祈願を胸に、詣でる。
しかし実際は、それだけではないと思うのです。
そこへ行くプロセス・道中で、自分の中で作り上げていく想いや思い出。
ひたすら足を動かし、歩みを進めるための、モチベーション。
その信じる気持ちこそ、積まれる功徳そのものだと思うのです。
功徳が宿るから、聖地である。
同時に、目的地へ向かう人々の気持ちが、功徳となって、聖地が作られていく。

今では、電車やバス 車と、乗り物の足に頼りながら、でも大切な人生の時間と体力を使って、私たちは目的地へと身体を持っていきます。
身体を動かすエネルギーとなる、心が動かされたきっかけや動機、その功徳を…あたたかく重ねていきたいと願う日々です。


写真は、今年の聖地巡礼で登った「弥山」の自然✨⛰️
山中のクリスマスツリーマーケット🌲が恋しい季節です✨











