大峰山

大峰奥駈修行満行

祈り, 季節, 行事, 聖地, 神仏, 修行, 大峰山

No one is walking on their own.
Every single step we take reflects the way we live our life, the way we treat others, the way we love and care. “Training” is not always all about toughness, but gentleness.

So, are we gentle enough? to ourselves, and to the others…



たった一人で歩んでいるわけじゃない「修行」という名の祈りの道。

「人生」という名の生命の道。

役行者にも、里で同じように想い祈る母がいて、側で心身尽くしてくれる前鬼・後鬼がいて、全てを無条件で包んでくれる自然があって、そして祈る先に繋がる神仏がありました。

全てが一体で一如で、役行者たった1人で歩んでいた道ではない、と思います。
誰1人として、たった1人で歩んでいる道はなくて、たった1人で成し遂げれることはない。

多くの方の支えと想いがあってこそ実現する「満行」。

道を歩みきることだけが満行ではなく、それぞれの満行があって、それぞれに与えられた行の中で、それぞれ深まる気付きがあるのではないでしょうか。

大切なのは
歩む道の長さではなく、歩み方。
人生の長さではなく、生き方。

全ては心の在り方、向け方、向け所:)

奥駈修行お疲れ様でした。
そして、様々な方面からサポートして下さった多くの皆さま、修行期間中に温かいお気遣いのお電話を下さった皆さま、修行者の家族の皆さま、ありがとうございました!


Anju

奥がけ 命がけ 心がけ

祈り, 季節, 行事, 想い, 聖地, 神仏, 修行, 大峰山

Heading to Okugake pilgrimage

7月12日〜16日
今年は、40名の修行者が、奥駈修行へと出発します。

大峯大曼荼羅を目指し、一歩一歩、その祈りの道・生命の道を踏みしめ歩く。
大自然に身を投じ、心身氣全てで神仏の光を観じ、祈るその心を内観する。

奥駈修行の道中では、75靡(なびき)と呼ばれる霊場を巡り、お札をお納めし、修行者全員で祈願致します。

当病平癒・心願成就・家内安全・災難消滅・学業達成・震災復興…本当に、本当に、心のこもった様々な祈り・願い・想いを、そのお札に託す方達と、そのお札に込められた祈りを「祈る」修行者達。

また「修行前・お弁当のおにぎり・修行後の食事のさいに…修行者の皆さんに…」と、庭で採れた無農薬の梅を清め塩で漬け、その梅干しを、毎年、お札の申込書と一緒に送って下さる方もいらっしゃいます。

いろんな人の深い想いを託され、その祈りを全ての一歩に刻みながら、皆の心と共に登拝するのが、奥駈修行の軸にある大切な目的の1つです。

自分のためだけじゃない。
自分1人だけで進む道じゃない。

自己中心的な修行ではなく、自己と内観する先に繋がる、自然と神仏への真心と、他者満足な祈りがある。
他者の幸せを願い想い祈る、なにものにも囚われない、愛が根本にある。
誰かのためだからこそ、届いて欲しいと祈る、強い祈りがある。

全ては、実はとってもシンプル。

奥駈修行に託された全ての祈りが成就されますように。
そして修行者の皆さんが、今年も全員無事に、怪我なく事故なく、満行し帰って来られますように。

祈りを、想いを、愛を、力に。

Anju

「母は強し」-役行者母公のお話-

ことのは つづり, 縁の下の力持ち, 祈り, 想い, 聖地, 神仏, 修行, 大峰山

There is a statue of En no gyoja’s mother in one of the halls at Sakuramotobou.
Just like us, the founder of Shugendo En no gyoja had mother. While the mountains resounded with his prayers and spells, she was also praying for him.

When people heard of Shugendo, so-called “tough trainings” “performing-like rituals” were more likely focused and stood out; but that’s not all of its world.

There is always another side of story and different point of view; we would like to share also the gentle vibe through his mother:)

どうしても荒々しいイメージを持たれることの多い修験ですが、それは全体の一部。それが全部ではありません。
当山の大講堂-大広間-には、聖観音像・役行者母公像が鎮座されています。

実際お参りして出会って頂くと、「大丈夫よ」と安心させてくれるような観音さんの穏やかさと、「迷わず進みなさい」と言ってくれているような、丹田から湧いてくるお母さんの力強さ…

何とも言えないお二方の存在感を感じて頂けると思います。

この空間もまた、陰陽そのもの。

修験道の開祖である役行者さんにも、私達と同じように母の存在があり、臍の緒そのものである命の絆がありました。

役行者さんが山で行をされている間、同じように母も祈り息子を想う。
母が子を想う気持ち、子が母を想う気持ち、どの時代も、その繋がりは密接です。

そして…どの時代も、母は強し。

私たちは、身近に当たり前に居てくれている存在を、ついつい忘れがちです。

生かされているのに、自分1人の力で生きれているように感じたり、人の支えがあってこそ達成できることも、まるで自分1人で全部やったと勘違いしてしまったり。

役行者さんも、愛の源である母、側で心身尽くしてくれる前鬼・後鬼、自然の包容力、祈る先に繋がる神仏…

全てが一体で一如で、役行者さんたった1人で歩んでいた道ではない、と思います。

だからこそ、祈願の前に、まず感謝をする心を忘れない。

誰1人として、たった1人で歩んでいる道はなくて、たった1人で成し遂げれることはないと思うから。

自分を人を思いやる気持ちの先に、繋がる祈りと愛があることを、大講堂の空間は教えてくれています。

Anju