祈りと医学

その命に伝えたいこと

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その命に伝えたいこと

年々「死生観」をお伝えする機会が増えるなかで、特に若い方・学生の皆さまから多い質問のひとつに、

「今を生きなさい、って、どう生きることが正解ですか?」

があります。

どのような質問に対しても、私たちは「正解」は持っていません。そして何かしらの「正解」を教える…そのような意識は、初めから持っていません。

しかし、自身の経験と言葉で、想いを…誠心誠意お伝えすることに、100%心を注いでいます。
目の前に、大切な人が横たわっていて、その命の時間が迫っていると知ったとき。決して変えることができない事実に直面したとき。

その手を握りしめ、最後に何を伝えますか?
1番伝えたい言葉は、なんだと思いますか?

実際、元気で生きている間は、「いつか言える」「あえて今言わなくても」「また後で」と見過ごしがちな沢山の言葉。

いざ、大切な人の死を目の前にした時、言いたいことは山ほどあって、それを伝えきれない後悔や、なんでなんで…と悔やむ気持ちが出てきます。それは、逆の立場でも起こりえることです。

…その状況を考えた時、今をどう生きるか、が見えてくるように思うのです。

いずれ、みな死ぬ定めを生きています。
自分の死も、決して他人事ではありません。

だからこそ、毎日の何気ないすべての瞬間に、できることがあります。

「おはよう」「おやすみ」「行ってらっしゃい」「行ってきます」「ただいま」「おかえり」

返ってくる返事、誰かから向けられる 誰かに向ける「言葉」こそが「祈り」。

なんの特別じゃない日々の当たり前にある、たかが一言、されど一言。

その言葉を言った言わないが、一生を左右することがある。

そして、どんなことがあったとしても…自分にも相手にも…最後に伝えたい言葉、伝えてもらえる言葉が、ただ一言「ありがとう」でしかない、という真実に近づくことが…今をどう生きるかに全て繋がるように、思うのです。

Anju
中が見えて、初めて分かること。
人にも物にも何にでも、側面だけでは分からない物語がある。
自身が経験しないと、実際にその物語を生きないと、外野から批判や非難すべきでないことの多さ。

日本の軸にあるもの

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前鬼裏行場 こりとりば、への先達・同行(どうぎょう)をさせて頂きました。
清らかなエメラルドグリーンの聖水での、古神道の禊の荘厳さと神聖さ

自然への感謝や敬意…神仏への祈り…
形や呼び方は違えど、根本の想いは同じ。

その想いの多様性と柔軟性こそ、日本の精神性の素晴らしさではないでしょうか

*主催の法人様、ならびに写真撮影者様の許可を得て掲載しております

大峯山の魅力12

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大峯山シリーズ
「平常心是道」

人前だけ、見えるところだけ、特別な時だけ…その時だけキチンとするのではなく、普段の心がけが全てものを言う。

どのような小さな日常の言動(発信 行い)も、疎かにしない。

それが出来てこそ、背中は初めて説得力を持ち、道はできる。「無心帰大道」

誠意と真心と思いやりの気持ちを忘れず、清らかにいようと努力を怠らなければ…道は自ずから開いていく。

根本の道…を耕し続けることのシンプルさ。
そのシンプルさを維持し続けることの、大変さ―

平常心の、尊さ。
「大自在」

自分のための行と、人のための行がある。

「人のため世のために修行してるんだ」「したってるんだ」というおごりではなく、心から思いのまま自然体で「修行をさせてもらっている」「させて頂いている」…でももっと言うと…それさえも越えて、日頃の立ち振る舞い・言葉・想いが、自然と周りの人のためを思える姿勢であれたら、どんなにいいだろう。

修行に対する「執着」や「こだわり」から離れなければ意味がない

あるがまま、の姿が、なにも「特別なこと」ではないことに気づく

人間として当たり前のことを、当たり前にする努力さえ怠らなければ、私たちはどこまでも自他に優しくあれるはず。

(山上参籠所 坊守撮影)