本年も、当寺院で最も代表的な大祭のひとつ、10月1日 吉野聖天大祭が近づいて参りました。
既に、多くの準備が着々と進められるなか、聖天堂の荘厳も、段階的に修められています。
何事も、全ては清めに始まり、清めに終わる。
お祭りも、感謝で始まり、感謝で終える。
清めることと、感謝の心を向けることは、まさに一如であると、教えられます。
悩むことは、悪いことじゃない。答えがないことも、悪いことじゃない。
悩むことを、諦めることが、残念でならない、という真実ー
問い続ける姿勢。
答えのために、疑問を持ち、質問を見出し続けるプロセスに、意味があることを教えてくれる、自然のちから🍂
写真は、大峰山上参籠所から、大峰山寺へ向かう道ー
霧の日も道も、尊い✨
日常で、あたたかでイキイキした眼差しに出会い、“癒し”を頂く機会があると、とても嬉しくなります。
「修行は厳しいもの」「修行してる人は怖い」
そのようなイメージがつきやすい「修験道」や「山伏」の姿。
もちろん、ケジメをつけて、儀式や山での現場では、背筋を伸ばし緊張感や沈黙を保つことが基本です。
祈る先に繋がっている、大いなる存在への畏れ多さや、自分の背中に託される、多くの方々の願いや想いを知っていれば、なおさら。
そして同時に“そこ”に存在する、「人」と「人」の交流、「心」と「心」を通い合わせる努力や意識といった、人間らしさ。
たくさんの言葉はなくても、その眼差しや背中、生き方や行動から、癒しをもらえる出会いに恵まれたら、それはとっても幸せなことです。
木々の間から差し込む光を、自分の眼差しに反射して、次は人にその光を分け与えていけるような人間でありたい。