シンポジウム

大講堂秘話 -役行者母公物語-

ボーダーレス, ことのは つづり, 縁の下の力持ち, 祈り, 季節, 行事, 想い, 祈りと医学, 講演, インターナショナル, 植物&食物, シンポジウム, 聖地, 神仏, 修行, 大峰山, ことば, リトリート

役行者母公が教えてくれる「優しさと厳しさ」
大地に力強く足がついている、または清らかな大滝が全てを浄化してくれる、そのような勢いを感じさせてくれる本堂。
そして、温泉に浸かっているような心地よさと、心がジワンと温かくなる雰囲気で私たちを包んでくれる大講堂。

年間を通して、内拝される参拝者の皆さまに始まり、メディテーションルーム、様々な専門分野で活躍される先生方のワークショップや講義、地域のイベントも含め、大講堂には多くの方がそれぞれの目的で出入りされます。
特に夏は、修行者の方々が主に入られます。
(大講堂は只今「修行者」の方が多く入られる場となっております。役行者母公に、温かく そして愛のムチで厳しく見守られている空間です。この大講堂を見守り、入られる全ての人の笑顔を見届けて下さっているのは、役行者の母公、そして聖観世音菩薩✨)

役行者母公のご利益は「すべての母への感謝・家内安全」、聖観世音菩薩のお役目は「女性加護・修行者の家族の加護」。

数年前までは、当山の影におられた神仏二柱でしたが、衆生(全てのイノチ)を尊ぶ教えと「原点」「初心」を忘れないという心得が、更に皆様に寄り添うようにと、大講堂にあらためて鎮座して頂きました。

役行者母公の御前に座っていると、誰もが、母の「無条件」の愛というものを、どこか懐かしく観じられる方が多いのではないでしょうか。

どの時代も母は強しで、日陰で支える大いなる存在の偉大さと、謙虚さ。

特にこの大峰山開山期間に今一度、「母なる」自然のど真ん中で、生きる行いを修めさせて頂ける幸せと、側で一緒に生き支えてくれる大切な人達への感謝を想う。

他者へ向ける「無条件の愛」と「思いやり」とは−

時に、真意や誠意を相手に伝えるのは、難しいことです。それが相手の1番を想ってのことであっても、「本当のこと」「聞きたくないこと」を言うことは、嫌われ役を買って出ること。

伝わらない可能性も覚悟して、時に、言う方も言われる方も、嫌な気分になってしまう「心意」を、それでも相手に伝える勇気は、「母」という存在が教えてくれるのではないでしょうか。叱ってくれる存在の有難さ。

何かを変えていかなければならないトキ、言わない方が楽なことでも、誰かが言わないと何も変わらないトキ。

揺るぎない信念を持っているからこそ、関わる全ての方々が絶対に良い方向に導かれていく、と信じているからこそ、当山は、役行者母公のお姿から教えられるように、厳しさと優しさの愛と思いやりを、発信し続ける場所でありたい…そう願ってやみません

Anju

シンポジウム~奈良編

想い, 講演, シンポジウム, 聖地

『生命 再生 原点 祈り』

私達が想像する以上のものが
そこに存在する偉大な自然から
目に見える形、目に見えない形で
私達は生かされていること

太陽の光と暖かさに感謝する心
光は希望そのものだから
暖かさは幸福そのものだから

大地の上に立てる尊さに感謝する心
田畑に育つ食物は生命そのものだから
踏みしめる一歩の支えそのものだから

海川雨の水の循環の時間に感謝する心
全ての命へ送られる贈物そのものだから
私達の母なる存在そのものだから

空や山や川や地には神様が宿っていて
全てには神仏の真心が満ちていて
私達の命をいつも守ってくれているから

自然を敬い共存を尊ぶ姿勢には
知らずのうちに神仏へ祈る心が宿り
その circle of life-命の循環-の営みに
感謝する気持ちで溢れているはず

祈りの意味とは
その感謝の心で日々日常を丁寧に生き
自分の命・人の命と真心をこめて向き合うこと
でもあるのだと思います


「他者満足」という言葉を、私は愛する人に教えられ、その生き方を目の当たりにしました。
でもそれは、何も自分を犠牲にして他人に尽くす、ことでは決してなく、まずは自分を愛することから全てが始まるということでした。

温泉のように、源から溢れる止め処目ないお湯が、そこに浸かる人を幸せにしてくれるように、自らの中から溢れる本物の愛や幸福感が、周りの人をも幸せにしていく。そしてその人たちの幸せを感じれることが、更に自分の幸せへ繋がっていく。

自らの原点を愛する

それは
生命を愛すること
自分を愛すること
人生を愛すること
家族を愛すること
人を愛すること
自然を愛すること
神仏を愛すること

そして
祈りそのものである
ということ

奈良から日本へ世界へ
この愛と祈りの想いが、いっぱいいっぱい降り注ぎますように!
メリークリスマス

Anju

イブという特別な日に足を運んで下さった皆様、縁の下の力持ちの多くのスタッフの皆様、そして、幸せな繋がりを頂けた、保山耕一さん率いる制作スタッフの皆様。
心の底から湧き出る感謝の気持ちで、心がいっぱいです。

再生~桜とともに生きる~

祈り, シンポジウム, 聖地

6月17日 東京・虎ノ門ヒルズにて「桜とともに生きる‐吉野・生命と再生の聖地‐」シンポジウムが開催され、多くの方にご来場して頂きました。
桜とともに生きる

桜とともに生きる冊子
まず始めに、17日のみならず、長い時間をかけて撮影・取材・編集含め、言葉では言い尽くせない様々な準備をして下さった、奈良・吉野を愛して下さる素晴らしく温かい制作スタッフの皆さま、保山耕一さま 大正まろんさま 増田隆さま 岩渕亜希子さま そして岡本彰夫先生に、心から感謝申し上げます。
皆さまの温かい想いを全身全霊で感じさせて頂き、凝縮された濃い時間を頂けたこと、このような有り難い場を与えて下さったこと、これほど幸せなことはありません。
皆さんと

そして、当日会場にお越し頂いた皆さま、都内・関東圏以外の場所からこの日のために駈けつけて下さった皆さま、来ることが叶わなかったけど多くの温かいメッセージを下さった皆さま、心と心が繋がる素敵なご縁に、心から感謝致します。

会場にて

この高まる気持ち、感謝の気持ち、全てを愛おしく感じる気持ちを、100%言葉に表現することが出来ません。

座談会
<左・保山さんと>

今回のシンポジウムは、奈良県・吉野山を紹介し、では奈良に!吉野山に来て下さい!という観光誘致だけが目的ではありません。

もちろん、このシンポジウムを通して「桜を見に来ました!」「仏様・神様に会いに来ました!」「書を見に来ました!」という新たな目的を持って下さるきっかけとなり、実際に足を運んで下さる方が増えていくこと、これほどの有り難いことはありません。でも、そこで目的を終えてしまうのでなく、このシンポジウムには、それ以上の、それを超えたところでの、制作チームの皆さま、そして一緒に関わらせて頂いた私たちの深い想いと祈りが込められています。
その想いというものが、映像の1シーン、一言、一瞬、一人との出会い・・何か一つでも、皆さまの心に届く想いというものがありましたら、大変嬉しく幸せに思います。

心が求める、心が生きる、心が繋がる、心が動く場所として、誰もが持っている「生きてきた力」「生きる力」「生きていく力」というものを再確認してもらえるような、「大丈夫だよ」「あなたは充分素晴らしいんだから」‘‘everything gonna be all right!‘‘と、全ての人の自身の存在の奇跡と素晴らしさを見つめなおしてもらえるような・・日々の祈り「目に見えない」ことの大切さを感じてもらえる場所でありたい。

誰もが必ず、役割を与えられて、この世界に産まれてきました。

起こる全てに意味がある、この言葉は「きれいごとで済ます」ように響く時もあるかもしれません。
だって、そんな言葉で終わらせれるような経験でないことも、人生では起こります。
そんなこと言われても、辛いときは辛い、苦しくて悲しい時、涙が止まらない時だってある。
人を嫌いになったり、信じられなくなったり、手を合わせることに抵抗を感じたり、世の中の矛盾全てが憎く思ってしまうような時もある。

でも、生きていかなくてはいけない。
それが億劫に感じる時だってある。

感情を持つ人間だから、こう思うのは自然で当たり前だと思います。
感じない方が、逆に不自然で、人間らしくない。

そんな私自身も、人間だから、不完全だから、きれいごとで済ませれないことだらけでした。

でも、今回のシンポジウムの映像を撮って下さった保山さんの存在を通して、その映像に映されている保山さんの想いを通して、心を見つめ、未来へ進んでいく勇気を頂きました。
保山さんの存在が、私たち自身の、そしてまた櫻本坊にとっても「再生」への道を示して下さったように感じています。

それらの経験がなかったら、出会えなかった沢山の「生」と「動」があり、自分が勝手に定めた限界を超えていく必要があって、常に挑戦していく必要性に気付かされます。

目に見えることだけでは決めつけれない真実やミラクルは、日々、毎日、側で起きています。毎日、変化が起きています。

シンポジウムの冒頭で朗読された中で、心にふと流れ星のように降ってきた煌きがありました。

「日本には、外国の言葉では言い表せない言葉がある」
この1文に、たった数秒で言えるこの1文に、私たち日本人の感性や精神性を強く感じました。

日本人がよく言う「空気を読む」、主張・意見・YES/NOをはっきりすることが何よりも大切な文化の中で育った外国の方に、この表現を説明するのは大変難しいです。
言葉にしなくとも通じる空間がある、言葉以外の言語があり、それを受け止めれる器がある。

そこには何もないんです。
ただあるのは、例えば門や鳥居をくぐった時に感じる氣であったり、お経や祝詞の声であったり、お線香の香りであったり、ろうそくの光であったり、鳥の声、空の青さ、風の心地よさ、降ってくる木漏れ日・・・
そこに満ちる言葉ではない「何か」を感じ、その何かに意味を見つけ、それを支えに生きていく決意が出来る私たち日本人。

私たち日本人が、目に見えないものの大切さを知っている、何よりの証だと思いました。

何とかしたい。進まなくちゃ。前を向いて生きていかなきゃ。
こう想わせられる、心を突き動かされる出来事があるからこそ、この先に繋げていくことの大切さを深めることが出来るのだ、と痛感しました。

どんなことも、見方・観点・視点を少し変えて見ることができると、循環が始まり、滞っていた心を動かしていける、教えられる時期というのがあって、そして、幸せなことって実はいっぱい毎日ある!
「24時間以内に起きた幸せな出来事・嬉しかったことって?」―今すぐになかなか答えが出なくても、その答えをどんどん出していける、幸せを感じていける毎日に、誰もが皆していける。
四葉のクローバーだけを必死に探さずとも、見過ごしている沢山の三葉のクローバーこそが日々のかけがえのない幸せ。近すぎて気付かないことに感動していきたい。
そう感じさせられる時間と空間が、シンポジウムでは流れていたように私は感じました^^

何かを引き継いでいくこと。
世間的に見れば、それはどこの社会でも「継ぐ」か「継がない」かの2選択しかないように思われがちです。
そして、周りの人は何でもどうにでも言えます、一部だけを見て全体を語るような表現があまりにも多いのも、どこの社会においても「よくある」ことではないでしょうか。

でも何かを繋げ伝えていく方法は、その2選択だけでは決してありません。
どちらが正しくてどちらが間違っている、で判断することでも決してありません。
少なくとも私はそう思っています。

人間の都合だけでは決めれない、動かすことが出来ない、ならないこともあると思うからです。
繋げ方・関わり方に、それぞれの未来に「絶対」はなくて「こうであらなければならない」ことはないと思うからです。
目に見えない力が働き、自然と成るべき方向に私達人間は導かれていると信じているからです。

与えられた命を、与えられた所で、与えられた形で、自分らしく生きていく。
命をかけて、命を生きていく。それぞれの愛の形を、生きていく。
世界平和世界が平和で、心穏やかでありますように。
全ての命は、みな同じ。

全ての人が、必ず、すでに、愛する人に出会っているから。
幸せな空間と時間を皆様とシェア出来たこと、この幸せな想いに感謝致します。
リハーサルひとこまAnju