Posts published on 5月 2021

保つや否や

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保つや否や

「十善戒」とは、シンプルな約束事ばかりです。

しかし、最も「容易く簡単」と思えるような誓いは、時に最も難しい試練となります。

初心や謙虚さは、努力しなければ怠けてしまう、そんな弱さを持つのが、私たち人間。

「〜されたから、私もしてやる」
「〜してくれないから、私もしない」
ではなく、可能な限り…相手に何をされてもされなくても、“私”は、相手を不快にさせることはしない。

「ありがとう」のたった一言が、今日を心地よさで包むことができる。許すことができる。

何をするかしないか、それが、「自分を含む」日常や社会が穏やかになる選択かどうか。

選ぶのは、いつも“私”の心-

人間である以上、選択を間違うこともあります。
そこで気づいて見直して、次に活かすために努力する。

その努力を、保つか、否や。

この心構えと選択の積み重ねが、日常の尊い「祈り」であり、人への「思いやり」と結ばれていくと信じています。

Anju
……
「得度受戒式」が執り行われた今週末。
心新たに生まれ変わり、神仏へ、十の約束(十善戒)を守る誓いをたてる、大変重く荘厳な儀式です。

神仏の「道 」と「教え」に出会い、その世界へと「渡り」歩ませて頂く「機会を得る」、そして人の模範となる心構えと言動への心がけを誓うことが「得度」。

愛を知った日

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愛を知った日

さまざまな経験を通して、私たちは生涯、千差万別の感情とともに生きていきます。

修行のコアに挙げられる「不動心」への憧れ。

それは、何も感じないための心を手に入れるものではなく、どのような感情を経験したとしても、その経験を自他を思いやる言動へと繋げること。そこを、迷わないこと。

自分はこうされたから、相手もそうされて当然。仕返しや忖度、期待をしたところで、何も得るものはありません。

生きている中で、大切な人を失い残される悲しみは、できれば経験したくない経験です。

でも、心が裂ける痛みを知り、愛を知った。
悲しみは、愛と学んだ。
その愛を、人に向けていきたいと、誓った。
悲しい、は愛。

多種多様な場面で、死生観をお伝えする機会が増えて、目の前にいらっしゃる皆様にただただ伝えたいと願うことは…

大丈夫、を伝えたい。
未来は空っぽじゃない、時間が解決することは少ないけれど、今を肯定的に生きる選択は可能である…誰かを想い、愛し愛される記憶は、かならず前を向く力になることを、引き続きお伝えしたいです

Anju

令和3年度『奥駈修行』ご案内

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令和3年度『奥駈修行』ご案内
自我を清め祓い鍛錬し、他者と社会の平和と幸福のために祈るのが、修験道。この1年、それぞれが置かれている状況と環境下で、今出来る形で、神仏へ祈り、他者へ奉仕し、生きる行いを修める(修行)ことの神髄が、標されてきました。実修実験・生きること・死ぬこと・再生すること…極めて現実的で、「いま」何を実行するかが常に問われる、修験道。

1350年の「世界遺産 祈りの道」-
役行者が歩いた道を一歩一歩縦走します。
吉野から熊野にいたる大自然の中で、自我を清め祓い鍛錬し、他者と社会の平和と幸福のために祈る登拝です。

7月14日(水)〜18日(日) 奥駈修行 詳細↓
https://sakuramotobou.or.jp/event/2021/20210714-18.html

*感染対策として、大峯山上全参籠所では、使用した寝具シーツ類はその都度交換しております。また1部山小屋では寝袋持参となります。その他詳細は、参加申込者の方に直接お伝え致します。

*聖地巡礼~女性のための登拝修行~(吉野古道の滝巡拝・男性可)は、8月28日~29日実施↓
https://sakuramotobou.or.jp/event/2021/2021082829.html

……
“Leave footprints of love and kindness wherever you go”
-自分が訪れた場所が、自分と出会ってくれた人達の今日という日が、愛と優しさに満ちていきますように。
なぜ人は、役行者の足跡を辿り、山に入るのか。
自然を仰ぎ、目に見えながらも「観えない」自然に手を合わせるのか。

その道が、全ての生命と世界へ向ける、思いやりに溢れているからではないでしょうか。

最初は「想い」があった。
そして、想いによって、歩むことで、道は開かれた。

良い想いが、周りを社会を世界を変えていける力となります。

自分たちが歩んだ後の道も、役行者の道筋のように、花々が清らかに咲きほこり、周りを明るく心地よく照らすものでありますように。

想いを、ちからに。

Anju