さい帯血バンク

じかんはいのち

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12月5日、兵庫県 甲南大学にて 「死生学 〜日本の死生観②〜」の講義をさせて頂きました。

受講されている生徒さん達の多くが、将来、臨床心理士・公認心理師・心理カウンセラーを目指しておられます。

身近な家族や友人・パートナーという、大切な人の「死」を経験することは、遅かれ早かれ、平等に全員に訪れること。
多感な年代の皆さんに、その事実をお伝えすることは、毎年悩ましい想いもあります。

しかし、学生さん達からのフィードバックには、毎回とても肯定的で前向きな文章が裏のページにまで溢れていて、私たちの方が、いつも生徒さん達に「救われている」ような感覚になります。

大切な人を失くす悲しみや苦しみは、治るものではありません。現実の、厳しさと無常さ。
そのような過酷な現実が、全員に必ず「いつかくる」ことを知りながらも…

「喜びも悲しみも、誰とどんな思い出を共有していきたいか。時間は有限であっても、心の豊かさや想いは、無限に広がるという可能性を知った。」

「自分だけではなく、周りの家族・友人・恋人を幸せにしたい。笑顔にしたい。大切にしたい。そうすることが自分の幸せだと、あらためて感じた。」

「想いや言葉は、人を生かす。人が寄り添い合うあたたかさを、日常で忘れていた気がする。人を愛し、人に愛される人になりたい。生き方を考え直すきっかけになった。」

「今を生きる僕たちが、その想いや願いを、受け継ぎ引き継いでいかなくてはならない、そう誓えた時間だった。絶対、必ず吉野山に行きます!」

…「寄り添いたい」「手伝いたい」と願いを向け続けた先で、気づけば私たちが寄り添われ、救われていることに、言葉では言い尽くせない感謝の気持ちが、生徒さん達と出会う度に溢れます。

若い皆さんの未来を、微力ではありますが、これからもしっかりと支えていける寺院でありたいです✨

松明は変わらず燃え続ける

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11月28日(木) 兵庫県 甲南大学にて、非常勤講師として「死生学」の講義 「日本の死生観」を、担当させて頂きました。

年々、「死生学」への受講人数が増えているそうで、今年も沢山の生徒さん達とのご縁に恵まれました。

神道や仏教にそもそも興味がない、修験道・山伏という言葉を聞くのは試験勉強以来、普段お寺に行くことも、お坊さんに出会う機会も滅多にない、という若い方が多いなか、本講義を通して「もっと知りたいと興味が湧いた」「柔軟性と親しみを感じた」「腑に落ちた」と非常に前向きに捉えて下さること。

とても嬉しかった、頂いた感想文の中には…

「幸せは、人に分けると減って、自分が損するだけ、ずっとそう思っていた。でも、ひとつの松明から何千人が火をとっても、松明は変わらず燃え続ける、というお話を聞いて、考え方の大きな変化と、今後の人生の幸せについて、深く考え直せた。」

「当たり前だと思っていた、挨拶や感謝の気持ちを、今まで以上にしっかり声に出して伝えていきたい。気持ちを表現することは、決して恥ずかしいことじゃないと勇気をもらった。」

「登る山の高さで、修行の良し悪しが決まるのではないこと。何をどこでするか、ではなく、どんな思いで、いかにその思いを信じるか、の重要性に感心した。自分たちも、ここで実現可能なことがある、と希望がわいた。」

「自分の欲や煩悩をなくすため、自分だけのために修行してると思っていたが、他者や社会の安らぎを願うのが修験道の始まりと知り、とても美しい精神性だと思った。」

…お互いの姿は見えなくても、何をやっているか分からなくても、世界のどこかで、誰かが誰かを想い、人を想い、社会を想い、どこかで必ず、全ての生命は繋がっていることに気づく。

想いにこたえていく、形として目に見えなくても、その先に結ばれる心を、信じてー

講義は、来週も続きます✨

祈りのクリニックを目指す

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祈りのクリニックを目指す

令和6年9月8日に行われました、近畿医師会連合定時委員総会内にて、当院 ザイレ法雲による特別講演「當病平癒の世界―祈祷寺における心と身のケアー」、をさせて頂く機会がありました。

医療の現場と祈りの現場には、多くの類似点があります。

私たちは、折れた骨をくっつける技術も、腫瘍を取り除く手術の知識も、持っていません。
言うまでもなく、人間の身体を治療をするのは、医療従事者の皆さまです。

一方で、病による身体の苦しみだけではなく、精神的な苦しみを伴う時、その悩み・不安やストレスを緩和し、心の部分での治癒を目指すのが、祈りの現場。苦しみと向き合う勇気を支えることが、我々の役割です。

更には、命を救う大変過酷な現場にいらっしゃる医療従事者皆さまのお仕事・環境を、かげながら支えられるような体制を築きたいと、櫻本坊は祈祷寺として長年想い続けてきました。

病院とお寺は、全く異なる環境ではなく、対立する関係でもなく、積極的に意見交換をし、理解しあい、協力しあえる関係が、これからの社会では益々必要不可欠になっていくと思います。

祈祷寺として、日々、多様な方々の人生に寄り添う機会が多いなかで、心底願うこと。

1人でも多くの方の「喜びを倍に、悲しみや苦しみを半分に」するために。その先に続く人生への希望を信じ、確信へと繋げるために。

必要としている方の、祈りのクリニックとしての役割を果たしていきたいと、日々強く想うことです。

この度、大変貴重な場を与えて下さった、近畿医師会連合委員長(奈良県医師会会長) 安東 範明先生に、厚く御礼申し上げます。

『奈良県医師新報』10月1日号、オンライン冊子(24ページ〜26ページ)にて読んで頂けます↓
https://nara.med.or.jp/cms/wp-content/uploads/2024/10/kaihou_202410.pdf