前鬼裏行場 こりとりば、への先達・同行(どうぎょう)をさせて頂きました。
清らかなエメラルドグリーンの聖水での、古神道の禊の荘厳さと神
自然への感謝や敬意…神仏への祈り…
形や呼び方は違えど、根本の想いは同じ。
その想いの多様性と柔軟性こそ、日本の精神性の素晴らしさではな
*主催の法人様、ならびに写真撮影者様の許可を得て掲載しており
人前だけ、見えるところだけ、特別な時だけ…その時だけキチンとするのではなく、普段の心がけが全てものを言う。
どのような小さな日常の言動(発信 行い)も、疎かにしない。
それが出来てこそ、背中は初めて説得力を持ち、道はできる。「無心帰大道」
誠意と真心と思いやりの気持ちを忘れず、清らかにいようと努力を怠らなければ…道は自ずから開いていく。
根本の道…を耕し続けることのシンプルさ。
そのシンプルさを維持し続けることの、大変さ―
自分のための行と、人のための行がある。
「人のため世のために修行してるんだ」「したってるんだ」という
修行に対する「執着」や「こだわり」から離れなければ意味がない
あるがまま、の姿が、なにも「特別なこと」ではないことに気づく
人間として当たり前のことを、当たり前にする努力さえ怠らなけれ
(山上参籠所 坊守撮影)