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私たちが生きる「跡」のフットプリンツ

お釈迦様のシンボルである蓮の花。
「泥沼に咲く蓮の花のように生きる」ことの意味を改めて考えます。

人は多くを人から学びます。
愛も別れも、喜びも苦しみも。思いやりも憎しみも、生きる意味も死ぬ覚悟も。

ブッダやイエスキリストにも言えることですが、彼らは様々な苦行も経験し、時には迫害を受けながらも、穏やかに等しくひたむきに、人間社会の中で、全ての人の心に寄り添われました。

聖と俗。

人里離れて、荒行をすることだけが、修行ではありません。

「里(さと)の行」といって、人間であるいじょうは、人間として社会の中で、人と人の間で揉まれながら、生きることの大変さと大切さ。

様々な感情を味わい尽くし、時には理不尽なこと矛盾だらけの中で、歯を食いしばって耐えねばならない日々もある。

色んな愛の形を知り、他者の痛みを知ることができる。そして人間としての厚みと幅を広げていき、人生の豊かさが耕される。

純粋さや正直さを貫くことの難しい世の中で、それでも、揺るぎない信念を持って真っ直ぐな心で、自分と他者に接する優しさと勇敢さ。

どうすれば、綺麗に純粋に生きれるのか-

人の幸せを心から祈れる器を育てるのは、やはり人と人の間で揉まれてこそ、ではないでしょうか。

様々な経験から味わう全ての感情が、私たちの心の蓮の花を美しく咲かす原動力となる。

月や星が明るく見えるのは、夜の闇があるからです。
見えない場所に、太陽があるからです。

たった一人で生きている人はいません。
共生(ともいき)共存している、生かされ生かし合っている全ての命
みんな、美しいイノチ

泥沼は尊い-

感謝を忘れず、時に闘いながら、あなたにしか咲かすことのできない蓮の花を…

Anju

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