昨日6日、兵庫県 甲南大学にて 「死生学 〜日本の死生観②〜」の講義をさせて頂きました。
身近な家族や友人・パートナーという大切な人の死とどう向き合い、どう「今」を捉えていくか-
このように教壇に立ち「死生観」をお話することは、誰にでも出来ます。
身近な「死」を経験することは、遅かれ早かれ、平等に全員が経験することだからです。
死は、特別でない、当たり前のことー
生きることは、かけがえなく特別で、当たり前じゃないことー
その事実を変えることはできないと知った時、では、皆さんは、生きることを諦めますか?
それとも、その事実があるからこそ、今日をどう生きたい、と願いますか?
命をことぶく「寿命だった」と、言われる人生の、幸せに気づく。
学生さん達からのフィードバックに「私たちの背中をそっと押してくださるお話だった」とあり、積み重ねてきた想いを信じて、それが相手の頭ではなく、心に入ったと知れると、感謝の気持ちが溢れました。