11月28日(木) 兵庫県 甲南大学にて、非常勤講師として「死生学」の講義 「日本の死生観」を、担当させて頂きました。
年々、「死生学」への受講人数が増えているそうで、今年も沢山の生徒さん達とのご縁に恵まれました。
神道や仏教にそもそも興味がない、修験道・山伏という言葉を聞くのは試験勉強以来、普段お寺に行くことも、お坊さんに出会う機会も滅多にない、という若い方が多いなか、本講義を通して「もっと知りたいと興味が湧いた」「柔軟性と親しみを感じた」「腑に落ちた」と非常に前向きに捉えて下さること。
とても嬉しかった、頂いた感想文の中には…
「幸せは、人に分けると減って、自分が損するだけ、ずっとそう思っていた。でも、ひとつの松明から何千人が火をとっても、松明は変わらず燃え続ける、というお話を聞いて、考え方の大きな変化と、今後の人生の幸せについて、深く考え直せた。」
「当たり前だと思っていた、挨拶や感謝の気持ちを、今まで以上にしっかり声に出して伝えていきたい。気持ちを表現することは、決して恥ずかしいことじゃないと勇気をもらった。」
「登る山の高さで、修行の良し悪しが決まるのではないこと。何をどこでするか、ではなく、どんな思いで、いかにその思いを信じるか、の重要性に感心した。自分たちも、ここで実現可能なことがある、と希望がわいた。」
「自分の欲や煩悩をなくすため、自分だけのために修行してると思っていたが、他者や社会の安らぎを願うのが修験道の始まりと知り、とても美しい精神性だと思った。」
…お互いの姿は見えなくても、何をやっているか分からなくても、世界のどこかで、誰かが誰かを想い、人を想い、社会を想い、どこかで必ず、全ての生命は繋がっていることに気づく。