Post navigation

ボーダーレス, ことのは つづり, 祈り, 季節, 祭禮, 想い, 聖地, 神仏, お守り, 修行, 大峰山, ことば

何をもって導いていくか

何をもって導いていくか

12月7日は、山の神様(おおやまづみのみこと 大山祗神・大山祇命) の祭礼日、12月15日は、秋葉大権現の総本宮の例大祭でご縁日

当山 本堂左手に御坐します「天狗経」に説かれる日本四十八天狗の1柱: 秋葉大権現 吉野皆杉 小桜坊-
明治以降 長年失われていた、右手に持たれる持仏 八手の団扇、左手の独鈷杵は、平成の御代に 復興させて頂きました。

こちらの天狗様は、その八手の団扇で内外の災難 厄 魔を祓い、良い風を吹かして下さいます。
また、山の神の使いとして、修行する者を守り導き、冷静な判断力を与えて下さると伝わります。
そして、護摩を焚くさい、炎に向かって扇を仰ぐ作法の時には、その御力と風を炎に入れて下さるのが、天狗様

祀られる全ての神仏は、私たち人間と同じように使命・役目があります。
例えばヴァイオリニストにとってヴァイオリンがなければ仕事が出来ないように、神仏が手に持たれる「持仏(じぶつ)」にも全て役割と意味がある。
さて、「天狗になる」ということわざ。

あくまでも私たちが目で見ている神仏のお姿は、人間がつくった「形」で、本来の御霊や光の柱は、心で観る・観じるもの。

しかし、森羅万象の営みの中で、神話を含め、先人たちが残してくれた教えは尊く、こういった神仏のお姿を通して、私たち人間が忘れてはいけない「基本の“き”」が継承されていること。

また神仏は、その与えられた姿 形をもって、私たちに教えてくれているメッセージが常にあるということ。

戒めとして、ことわざになった「天狗」の姿-

…その姿の裏側には、こういった神仏の、自らの身をもって導く寛大さと…計り知れない優しさがあることに、感謝を込めて…

Anju

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*