縁の下の力持ち

「優しさ」は真の強さ

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「優しさ」は真の強さ

“Having a soft heart in a cruel world is courage, not weakness.”

さまざまな修行や訓練、啓発が世の中には溢れていますが、その中でも「自分の心を強くしたい」という想いを、目標とされる方が多いかと思われます。

その強さを「不動心」と呼ぶこともあれば、「許し」と捉えることもあり、誰かを打ちのめすための力ではなく、己の弱さや限界を越えるための力として、私たち人類は「強さとは?」を永遠の課題としています。

祈りの現場で日々感じることは、人間として産まれ生きている限り、「何も感じない」強さを求めるために修行をしてしまうと、本来の目的とズレてしまうということ。

生きていると、色々なことと日々直面します。
それが日常の何気ないこと、もしくは生死に関わること、出来事の大小はあったとしても、その時、何をどう感じるかの先に必ずある、どう捉え動いていくか…が重要ではないでしょうか。

悲しみ 苦しみ 辛さ 嫉妬 無力感 悔しさ 矛盾に対する怒り…それ以上に満ちる喜び 嬉しさ 暖かさ 感動 愛おしさ 思いやり お互い様という許し。

感じることに素直であり、その感情とどう向き合い、他者へ恩返ししていけるだろうか。

他者の痛みを知り、その想いに寄り添う優しさや言霊は、何も感じない人間の“強さ”からは発信されません。

日本精神のひとつである「おもてなし」文化も、優しさという強さだと思います。

相手の全てを受け入れて、もてなす。
もてなされる側も、その気持ちを受け入れて、次は他者へペイフォワードを実践していく。

全ての感情を「感じること」、全ての人・物事を「受け入れること」は、難しい。難しいからこそ、それを受け取り…必要であれば手放す勇気が、強さとなります。

そして、正直者と真面目な者が損をする…そう言われる社会で、それでも優しさの心を向け続けることは、弱さではなく、真の強さ…と信じてやみません。
Anju

金毘羅大権現 祭礼

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金毘羅大権現 祭礼

毎年10月10日、当山境内 天武天皇 夢見の桜の側に御坐す、金毘羅大権現の祭礼が地域の皆さまと共に斎行されます。
今年は、役員代表者のみで斎行させて頂きました。
吉野山の氏神様である金峯神社の神様を守る、「運行/運航」の神仏であられる金毘羅大権現

秋は日本中で、自然の恵みに感謝し、自然との共存を祝福する祭礼が行われます。
本年は多くが縮小という形になっておりますが、最も大切な「神事 祭礼 法要 護摩」、神仏へ捧げられる祈りは、厳粛に粛々と行われています。

人の目に触れる触れない関係なく、極端に言えば、参拝者が零であっても百であったとしても、神仏へ向けられる真心と準備は、常に同じ。

心があるところに、祈りがある。
その神髄の原点と、しかと向き合う2020年-

Anju

唯一心に届けられるもの

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唯一心に届けられるもの
“Three things cannot be long hidden: the sun, the moon and the truth.“ -Buddha

「生きる行いを修める」ことを「修行」と、櫻本坊では常にお伝えしています。
つまり儀式中の作法や技術、山の中、もしくは社寺 聖地の中だけが行場ではなく、日常・社会・職場・家庭・人生全てが行場。

その「生きる行いを修める」なかで、毎日、私たち人間は知らず知らずのうちに罪を作っています。

小さな嘘、小さな誤魔化し、小さな陰口、小さな批判・小さな殺傷(食物 動物 植物 虫)…「小さな」ことが積もり重なると、いずれ「大きな」渦となり溜まっていく罪。

日常で、どれだけその小さな罪に気付き、反省し、努力し、感謝し、自他への思いやりある言動を選択していけるか。

常に私たちは選択しながら、生きています。

そしてその選択は、やがて人柄・人相・習慣・言葉・雰囲気・生き方となり、必ず相手に伝わっていきます。
ごまかしが効かない「心」「言霊」の時代に、今生きている私たち

「生きる行いを修める」には、心を投入することが同時に伴っていなければ、意味がありません。

神仏にも人にも、その「御心」に確実に伝わっていくのは…ごまかしが一切ない「真心」です。

Anju