お盆という、生きている人間と故人の世界の境界線が薄くなる、特別な時間ー
櫻本坊歴代住職 坊守 有縁者のお墓へ、お掃除とお参りへ行ってきました。
刻まれている歴代住職の名前を目で追いながら、お掃除をしている間は、毎年多くの事を考えさせられる貴重な時間です。
きっと、それぞれの時代で、それぞれの課題・役割・やり方があったでしょう。そして、それぞれが、懸命に、必死に守った「大切なもの」があったでしょう。
そしてきっと、その多くは、私たちが知ることのない、どの書物にも、日誌にも、写真にも収められていない、日常で修められてきた行いであったでしょう。
結果として、現代に形として、諸神仏像・お堂 建物 空間・経典が継承され、そして、形として見えにくくとも、祈り・道・人とのご縁…「法灯」というかけがえのない「知恵」「教え」「心」が繋がれています。
人が生きている間に、何をしたか。何ができるか。どうやるのか。どうできるのか。
人間という小さな生き物が、遺せるものが限られている中で、果たして、人生には、どのような意味があるのか。
この日常のほとんどの出来事 思い 感情 言動は、自分がいなくなった後、語り継がれることはありません。
でも、やり続けることが、生きること。
100年後の未来に自分がいなくても、形があってもなくても、何を伝え残していけるかは、今の日常で何が「できるか、できないか」よりも、何を「やるか、やらないか」だと信じています✨
*写真は、吉野山にかかったダブルレインボー🌈