本年も、兵庫県 甲南大学にて、非常勤講師として「死生学」の講義 「日本の死生観」を担当させて頂きました。

「死生学」の受講希望者が年々増え続けているそうで、今年も沢山の生徒さん達とのご縁に恵まれました。
毎年、本講義を通して、非常に前向きに捉えて下さる学生さんが多く、心から嬉しいことです。
その中でも特に嬉しかった感想文には
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「生老病死という避けられない無情を前提にしつつ、では、どう生きるかへと転換していくか。それでも、祈り続ける、という姿勢に、血の通った人間としてのあたたかさを感じた。修験道は昔の話ではなく、私たちの年代に役立つ考え方が現在進行形でたくさんあると知り、もっと学んでみたい。」
「役行者の生涯や、山伏の実践に込められた精神は、単なる宗教史の一項目ではなく、人としてどう生きるか、生き方そのものを問う教えとわかった。AI的な効率性とは真逆の、一歩一歩その日の生活の中に道を見出すという考え方に、現代に生きる私たちが本当に大切にすべきものを教えられた講義だった。」
「明確な神が存在し、その神の教えに従う生き方ではなく、常に自分たちが人間であることを意識した生き方や、特別な存在にならなくても、日常の中で心を正しく保ち、人の幸せを思い行動することで、自分自身を高めていけるという、前向きな姿勢に感銘をうけた。」
「自らの心身を鍛えることは、単に自分の成長のためだけでなく、周囲の人々を励まし支える力にもなる。懺悔は、自分を責めるためではなく、ありのままの自分を見つめ直す行為である。そこから感謝が生まれ、日々の生の受け止め方が変わっていく。人間の様々な苦しみに寄り添いながらも、最終的には自分の力で前へ進めるよう背中を押す、修験道の現実性と実践性を聞き、今の自分の生き方を見直すきっかけとなった。」
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お互いの姿は見えなくても、何をやっているか分からなくても、世界のどこかで、誰かが誰かを想い、人を想い、社会を想い、どこかで必ず、全ての生命は繋がっていることに気づく。
想いにこたえていく、形として目に見えなくても、その先に結ばれる心を、信じてー
