「優しさ」が去るとき
心を鬼にして、誰かのためを思って叱るとき、人を育てていくために、あえて厳しく注意し怒るとき。
心を鬼にして、闘い守る価値のあるレガシーや、実現したい夢や目標と出会い、現実化を目指すとき。
その鬼は、「優しさ」からくる、神仏の化身ー
本当の鬼は、「優しさ」が去る時に、出現します。
優しい人は、ただ静かに黙っている、だから優しい、それは違います。
その沈黙を勘違いし、相手が何も言わないから「自分こそ正しい」「何をやってもいい」と、その優しさに甘え続けると、どうなるかー
その沈黙は、呆れられ、諦められ、見放された結果かもしれません。そして、興味を持たれなくなることほど、人として悲しい事実はない。
特に、学びたいことを自由に選択できる大学の例えと似ています。
せっかく惜しみなく素材を提供しても、学ぶ意志や成長心がない生徒に、先生は興味を持つでしょうか。
赤ペンで返した課題を、直さず放置し、向上する気のない生徒に、先生は引き続き教えたいと思うでしょうか。
優しさ、が去るときー
その鬼が、去るときー
心を鬼にすることと、自分自身が鬼になってしまうことの、大きな違いに気付かされる、節分当日✨
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本日、節分祈祷護摩法要を滞りなく斎行せて頂きました。和やかな法要となり、皆さまの温かさに癒される1日となりました✨
ご出仕ご助法下さった行者 ならびにご信徒の皆様・心を向けて下さった全国 祈願主 崇敬者の皆様、心より御礼申し上げます。
ご祈祷をお申し込みの皆さま。
先ほど、ご祈祷致しましたお札を拝送いたしました。お手元に届くまで、もうしばらくお待ちください✨
今年1年も、大難が小難となり、笑顔と平安が心を満たす日々となりますように✨