先月NHKで放映されました「修験道”発祥の地”幻の修行場-菊の窟-」で、当山に伝わる大峯々中秘密絵巻が、参考資料として紹介されました。
昨日&本日は、前回の内容よりも詳細の撮影が行われており、NHKの取材・撮影班の方々と一緒です。今日は実際に山に入っての撮影。
1つ1つに敬意を払い、丁寧なお仕事をされるクルーの皆さんの姿勢は圧巻です!勉強になります✨
今月末に放送される予定です。
Anju
2017年の幕が開けました!
おめでとうございます!
今年の抱負は、何かありますか?
当山の抱負は「straight・まっすぐな柱」「unchain・解き放つ」「passion・波をたてていく」です。
去年の春開設されたこちらのブログ。
秋頃からは特に、多くの方にお声をかけて頂きました。
同じ志を表明して下さる方、前向きな温かいお気持ちもあれば、批判や否定や拒絶の視線やお言葉もありました。
当山の軸にある想いをどう伝えていこうか、変えていきたいと強く願う事を変えていけるんだろうか、意味のないことをしているのではないか、想いを文章にすることで本当に伝わっていくのだろうか、何も変わらないかもしれない。
でも、やってみないと、言葉に出していかないと、何も変わっていかないことがある。
個人のブログではなく、櫻本坊というバックグラウンドがあるなら尚更、誤解をうんだり迷惑をかけてはいけない、と何処まで文章で表現していいのか、その線引きというのがまだ定まっていませんでした。
が、新しい年が開き、恐れずにどんどん進んでいこうと決心できました。
心をぐるぐると巻きつけていたチェーン、そのチェーンは少しずつですが緩められてきました。
今までは、その緩んだ隙間に、外から光の筋が入り込む受け身でいましたが、今年からは、内側から外に光を放つ、その発信の本格化が始まったと思います。
ちょっと日常より濃い場所にいる中で、長く見てきた表と裏・光と闇・外と内。
素晴らしいところ、良いところも多く実感する中で、裏の裏の様々な正反対のことも見て聞いて経験してきました。
でも全てに+-があり、陰陽があるように、どんなことも繋がっていて、球体のように色んな側面がある。
一部を見て全体を語らないことを教えられました。
変化の実現を更に可能にするのに、遠慮していても意味がない。
なので、こちらのブログも、もう少し具体的に踏み入った事を書いていこう、今年はもっとハッキリと言葉を選んでいこう、と計画しています。そして何かしら、何らかの形で、この想いが繋がっていくことを信じています。
あえて波をたてて変化を促していく、ブログが炎上してもbring it on!です。
そこが「passion・波をたてていく」の抱負にちょうど当てはまります。
一番伝えていきたいこと。
どこに心があるのか。
そこに心はあるのか。
なぜこの道をいくのか。
この道を歩み始めた時の志や想いは何だったのか。
原点・初心を、今この時だからこそ、今一度振り返って再確認しなきゃ、と感じずにはいられません。
どの世界でも言えることかと思いますが。
どんなに形と型があり、衣装を着、何らかの資格や肩書きがあったとしても、そこに心・真心がないと、何の意味も持たないから。ただのかっこつけのコスプレイヤーで終わり、周りもそういった目でしか見なくなるから。
人からこう見られたい。思われたい。特別なことをしているんだ。だから偉いんだ。
ある意味で、この考え方というか、周りの見方も、こういった思考回路の習慣が出来上がってしまっているように感じ、そんな変なプライドは、捨てるべきやと、私は言いたい。
そういった習慣が当たり前になってしまっていることに、危機感をもっと持ってもらいたい。
性別に国籍に職業に肩書き、組織の大きさに人数の多さ、お堂の大きさに仏像の大きさ、「文化財」という肩書きの有無・・・
祈りの道にそんなボーダーは本来関係ないはずだから、そういったことを取り払い、何が一番大切なのかを再確認していきたい。
ビジュアルで目に見えることだけを見るのではなく、見えてないようで見ていること、見ているようで見えてないこと、星の王子様の心の目を磨いていきたい。
そこが「unchain・解き放つ」の抱負に当てはまるところ。
祈ることって、なんですか?
人の評価を得るために、この道を歩んでいるんですか?
「形の姿勢」ができても「心の姿勢」がなっていないと、あの有名な劇団四季の稽古場の言葉通りになってしまうと思うのです。
慣れ・だれ・崩れ・去れ
神仏と人間を結ぶ柱は、心しかない。
その柱を高くまっすぐ太くしていくのも、心でしかない。
手塚治虫のアニメ「火の鳥」が、空に向かって真っすぐ光の柱をたて飛ぶように、その真心・祈り・想い・・・が運ばれ、そして通じるためにも、「運心」「心通」の意味を、今年は特に発信していきたいです。
そこが「straight・まっすぐな柱」の抱負に当てはまるところ。
この3つの柱で、今年も前進していくのみ。
皆さん一人一人の火の鳥の柱が、天高く伸びる1年となりますよう、お祈りいたします。
Anju
『生命 再生 原点 祈り』
私達が想像する以上のものが
そこに存在する偉大な自然から
目に見える形、目に見えない形で
私達は生かされていること
太陽の光と暖かさに感謝する心
光は希望そのものだから
暖かさは幸福そのものだから
大地の上に立てる尊さに感謝する心
田畑に育つ食物は生命そのものだから
踏みしめる一歩の支えそのものだから
海川雨の水の循環の時間に感謝する心
全ての命へ送られる贈物そのものだから
私達の母なる存在そのものだから
空や山や川や地には神様が宿っていて
全てには神仏の真心が満ちていて
私達の命をいつも守ってくれているから
自然を敬い共存を尊ぶ姿勢には
知らずのうちに神仏へ祈る心が宿り
その circle of life-命の循環-の営みに
感謝する気持ちで溢れているはず
祈りの意味とは
その感謝の心で日々日常を丁寧に生き
自分の命・人の命と真心をこめて向き合うこと
でもあるのだと思います
…
「他者満足」という言葉を、私は愛する人に教えられ、その生き方を目の当たりにしました。
でもそれは、何も自分を犠牲にして他人に尽くす、ことでは決してなく、まずは自分を愛することから全てが始まるということでした。
温泉のように、源から溢れる止め処目ないお湯が、そこに浸かる人を幸せにしてくれるように、自らの中から溢れる本物の愛や幸福感が、周りの人をも幸せにしていく。そしてその人たちの幸せを感じれることが、更に自分の幸せへ繋がっていく。
自らの原点を愛する
それは
生命を愛すること
自分を愛すること
人生を愛すること
家族を愛すること
人を愛すること
自然を愛すること
神仏を愛すること
そして
祈りそのものである
ということ
奈良から日本へ世界へ
この愛と祈りの想いが、いっぱいいっぱい降り注ぎますように!
メリークリスマス✨
Anju
イブという特別な日に足を運んで下さった皆様、縁の下の力持ちの多くのスタッフの皆様、そして、幸せな繋がりを頂けた、保山耕一さん率いる制作スタッフの皆様。
心の底から湧き出る感謝の気持ちで、心がいっぱいです。
吉野山の紅葉は、今年は特にグラデーションが美しく、雨や霧の中でこその幻想的な風景が、一層心に残る秋になりました。
11月12日に始まりました、天武天皇御神像 御開帳は、先日の20日に無事結願を迎えることが出来ました。
修験道場ということで、当然ですが役行者さんの存在、神仏の全てを包み込む包容力と厳しさ、計り知れない自然の偉大さというものを、今だからこそ、ヒシヒシと感じることが増えました。
「なぜ修験で、天武天皇なのですか?」
とお聞きする事も同時に増えました。
当山の「はじまり」は、天武天皇(当時は大海人皇子)が夢の中でご覧になった、真冬の雪景色の中の満開の桜から、全てが始まりました。
(詳しくは当山HPの縁起をご参照下さい)
その一夜の夢、その一本の桜から、天武天皇 役行者 角乗和尚(当山第一世)の運命的な出会いへと繋がり、1350年もの時を経て、今に至っています。
天武天皇祭そしてご開帳の意味は、天武天皇へ、 当山櫻本坊を建立して下さった、道を開いて下さったことへの感謝をたたえること。そして、私達人間を導き、この道を繋げ守り続けて下さっている神仏へ感謝を申し上げること。
天武天皇ご神徳法要は、玉串を奉奠しながら、経典を唱えるという、神仏習合の法要神事両方で(共に)執り行われます。
また、天武天皇の元のご神像は、かつてお祀りされていたそうですが、明治廃仏毀釈のさいに行方不明となりました。
岡倉天心デッサンのもと(東博所蔵)、東大寺大仏師(故)小野寺久幸先生と共に、復興させて頂いたのが現在のご神像です。
そのお姿は、神仏習合のシンボルともいえるお姿をされており、右手に笏(しゃく)左手に数珠を持たれ、神主の正装の上に、僧侶のお袈裟をかけておられます。
天武天皇は、「天皇」だけではなく、神道仏教にも精通しておられ、その視点で日本の国づくりをされました。
政治家であり、宗教家であり、また万葉の時代に生きたロマン溢れる歌人でもあったのではないかな、と今回あらためて感銘を受けました。
当山は、この方から始まった場所であり、この方がいなかったら、何も始まっていなかった道であったのだ、と。
時が流れると、どうしても風化していってしまうことがあります。
その時その瞬間は、その人や出来事や想いが主でも、時が経つと忘れていってしまう、忘れられていくことがあります。
その風化する中で、繋がれてきた、繋がれていく志や想いが存在する。
同じ方向を向いて一緒にススム人達と心が存在する。
『何をもって、そう思ったのか、しようとしたのか』
全てには必ず「はじまり」があって、そのはじめ、何を思ってはじまったのか。はじめようと思ったのか。
手段や形が様々な中、きっと、結局はそれは全て「人のため」「世のため」に繋がっているのだと思うのです。
天武天皇が夢を見たことから始まった道があるように、私達も夢をみ、夢を持ち、夢に向かって進んでいく。
意味合いは違っても、最初に持つのは目標という「夢」であり、叶えたいと願う「想い」です。
私達は、目の前のことに必死で、生きることに必死で、そのはじまりを忘れがちになって、なぜこの道を行くのかを忘れがちです。
想い 気持ち 心 がどこにあるのか。
天武天皇の想い、役行者の祈り、この道を行く全ての生きる道。
歩み方は違っても、ススム方向は同じで、人を想い、世を想うその心は繋がっている。
時代によって繋げ方、在り方が変わる事があっても、その最もな根本の「原点」「初心」を忘れなければ、必ず「再生」「再出発」をしていける。
今年の10月1日、聖天祭により、当山は原点に戻りました。
そして11月13日、天武天皇御神徳法要により、再出発という形で…当山の「はじまり」の幕が新たにあがったように感じます。
人と人を結ぶのは、心であり命であるように、神仏と人を結ぶのも、それもまた真心であり魂である、と。
その心と命、真心と魂を繋いでいく意味というものが、全ての「はじまり」の中に満ちているのだと、今年の天武天皇ご神像のお姿を見て、教えられたようにも感じます。
そんな当山の今秋の再生と再出発が、1年後、3年後、5年後、10年後…この道を共に行く一人でも多くの方の心にも伝わり、繋がっていきますように。
Anju