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祈り

想いを力に

4月29日 京都国際会館で、第64回 日本輸血・細胞治療学会総会が開催され、住職が講師として講演させて頂きました。

学会1
学会3
3年前から、日本赤十字社 近畿さい帯血バンク様とご縁があり、さい帯血採取病院(主に産婦人科)での、教育訓練の一環として、ドクター・看護師さんへ向けての講演をさせていただく中で、今回、学会総会での講演と繋げて頂きました。

学会4

*さい帯血移植は、母体と赤ちゃんをつなぐ、へその緒から採取される臍帯血を、血液ガンの患者さんへ点滴移植する治療です。
事前に妊婦さんとご家族の同意を得て、出産時に提供してもらいます。母体にも赤ちゃんにも、負担も痛みも影響もありません。
そして、臍帯血バンクで冷結保管され、移植を必要とする患者さんの要請が入った時、型が合う臍帯血が、病院へ冷凍boxに入れられて運ばれます。
身近で出産を控えた方、将来出産するさい、このブログを通しても「ああ〜さい帯血が何とかって言ってたな〜」と思い出して頂けると幸いです。

医療現場で、医療従事者に向けて、では何を話しているのか?

それは、主に仏教の観点から考える命(生と死)について・・・

ではなくて、一人の人間として、家族の物語、希望や夢が支える命の輝く時間への想い、「祈り」と「医学」の密接な繋がりについての想い、生命のバトンの繋がり、というものを中心に、講演会ではお話させて頂いております。

学会6
宇宙や 地球の規模の中でいうならば、1人1人の命の輝きというのは、ほんの小さな光かもしれません。

でも、全ての命は、この自然の中で繋がっていること-Circle of Life-を思うと、他人事ではありません。

全ての命は、魂は、愛や祈りや希望や 絆や慈悲や信じること、想いにより繋がっているということ。

こういった目に見えない想いこそ、大きな「治癒力」に繋がっていくのは、確かなことだと信じています。

でも、そんなの目に見えないやん?
目に見えないものを、どうやって信じればいいの?

目に見えないからといって、繋がっていないというわけではなくて。
目に見えないからといって、そこに何もないわけではなくて。

確かに、目に見えないことを信じることは、思っているよりも結構難しくて。

「空」「無」

例えば、空気は、目に見えてないだけで、「からっぽ」のようだけど、実は満ちていて。満たされていて。

「ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばん大切なことは、目に見えない。」

星の王子さまも、そう私達に教えてくれています。

命に触れ、命を守り、命を繋いでいるのは、医療現場だけではなく、医療従事者だけでなく、私達皆も同じです。

さい帯血のように、お母さんや赤ちゃんも、名もなきヒーローであります。

「産まれてきたら、一緒にいっぱい遊ぼうね。沢山の場所に一緒に行こうね」

「元気に産まれてきてね。健康で育ってね。」

「産まれてきてくれて、ありがとう。あなたに会えて良かった。幸せだよ!」

お母さんと赤ちゃんを繋ぐ、生命のラインである、へその緒、そしてさい帯血には、そんな溢れんばかりの愛と祈りでいっぱいです。

その愛と祈りのラインは、必ず、確実に、移植を必要としている患者さんの生きる希望となり、生きる力となります。

人を救うのは、神や仏でもありますが、でも誰よりも人を救うのは、それもまた人であると思います。

四苦八苦の言葉の中には、愛別離苦という、1つの苦しみがあります。
愛する人と別れなければいけない、誰もが経験する苦しみの1つです。
でも、この言葉の基には『愛する人に出会っている』という素晴らしい喜びがあるということ。

人生の伴侶に出会い、新たな命に出会うということ。

今、この自分の命があるのも、両親に祖父母、そのまた曾祖父母…ご先祖様達の、その中の誰1人と欠けても、今の私達は存在していなくて。

これから出会う新しい命も、今の全てのご縁の中の、誰1人と欠けては、出会うことが出来ない、奇跡のかたまり。

夜寝る前の「おやすみ」
朝起きた時の「おはよう」

また明日も、その「おはよう」が聞けますように。

当たり前すぎる、この何気ない言葉も、相手があってこそ、命があってこそ…

櫻本坊は、護摩 ご祈祷の道場です。

櫻本坊の一番深く太い中心軸は、護摩であり、祈ることです。

修験道の行者さん達だけでなく、今既にご縁のある方、これからご縁のある全ての方へ、オープンであり、全ての方の為の祈る場であり、全ての方の為に護摩は焚かれます。

医学では治しきれない「心」を癒せれる場、医学では埋めきれない隙間を埋めれる場、そのような場でありたいと願います。

明日への出発をサポートできるような、背中をそっと押せるような、その人の心に寄り添っていけるような、生きる力を支えれるような…

そんな、心身のケアが出来る場として、静養、養生の場として、命が輝く場として、全てとの調和の中を生きていきたい、自己満足ではなく他者満足を生き方として生きていきたい、それが、当山に携わる私達の願いです。

護摩や言霊の「祈り」と共に、私達に出来る心身のケアの中に、食養医学や、植物療法、そして実際に専門機関で医学知識を現在取得中ですので、将来、何かしら、私達の想いや夢というものが繋がり、確実に形となり、受け入れられていくといいな、と願っています。

人生は長さではなく、生き方だから。

今夜の「おやすみ」
明日の朝の「おはよう」

また「おやすみ」
そして「おはよう」

かけがえのない人への、その言葉の先に、限りない愛が満ちていますように。
その愛こそが、今日を生き明日を生きる力となりますように。

『想いを力に』

by anju

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