There is a statue of En no gyoja’s mother in one of the halls at Sakuramotobou.
Just like us, the founder of Shugendo En no gyoja had mother. While the mountains resounded with his prayers and spells, she was also praying for him.
When people heard of Shugendo, so-called “tough trainings” “performing-like rituals” were more likely focused and stood out; but that’s not all of its world.
There is always another side of story and different point of view; we would like to share also the gentle vibe through his mother:)
どうしても荒々しいイメージを持たれることの多い修験ですが、それは全体の一部。それが全部ではありません。
当山の大講堂-大広間-には、聖観音像・役行者母公像が鎮座されています。
実際お参りして出会って頂くと、「大丈夫よ」と安心させてくれるような観音さんの穏やかさと、「迷わず進みなさい」と言ってくれているような、丹田から湧いてくるお母さんの力強さ…
何とも言えないお二方の存在感を感じて頂けると思います。
この空間もまた、陰陽そのもの。
修験道の開祖である役行者さんにも、私達と同じように母の存在があり、臍の緒そのものである命の絆がありました。
役行者さんが山で行をされている間、同じように母も祈り息子を想う。
母が子を想う気持ち、子が母を想う気持ち、どの時代も、その繋がりは密接です。
そして…どの時代も、母は強し。
私たちは、身近に当たり前に居てくれている存在を、ついつい忘れがちです。
生かされているのに、自分1人の力で生きれているように感じたり、人の支えがあってこそ達成できることも、まるで自分1人で全部やったと勘違いしてしまったり。
役行者さんも、愛の源である母、側で心身尽くしてくれる前鬼・後鬼、自然の包容力、祈る先に繋がる神仏…
全てが一体で一如で、役行者さんたった1人で歩んでいた道ではない、と思います。
だからこそ、祈願の前に、まず感謝をする心を忘れない。
誰1人として、たった1人で歩んでいる道はなくて、たった1人で成し遂げれることはないと思うから。
自分を人を思いやる気持ちの先に、繋がる祈りと愛があることを、大講堂の空間は教えてくれています。