GAGA | ブログ@櫻本坊

やまと ことのは つづり

情熱と士気は失わず

令和の復興・修繕プロジェクト

櫻本坊では、諸堂・客殿の耐震・バリアフリー建替 ならびに屋根の修繕事業をすすめています。

第一弾として、現在、聖天堂の屋根の修繕工事が行われています。

木製軸と板が風雨で痩せ、穴が開き雨漏りの原因となっており、お堂自体の損傷が危惧される状態が発生しておりました。

今後20年かけて、ひとつひとつ復興の実現を目標としています。

復興にかけるエネルギーは、大変根気と気力が必要です。まして厳しい情勢のなかでの事業ですが、情熱と士気は失わず、1000年の法灯を未来に繋ぐために、邁進致す所存です

自然が教えてくれること

大講堂(百畳の間)から

今日という一日を…与えられた同じ時間をどう過ごすかは、常に選択できます。

環境や状況を言い訳にせず、こころが、決めること。決めれること。
木漏れ日の荘厳さ。そっと脇から…射し照らす光は、日常や人生にも訪れる導き。光に身を包まれる心地よさと、自身も光になれることを知れる、こころ強さ。
新顔の小鳥さんたちのお気に入りの場所。先代「夢見の桜」で唄う。今日も境内は穏やか。
同じ花でも、咲くタイミングが微妙に違う。散り時も違う。同じなのは、どの花も、その時最大限に生命を咲ききったこと。

人間の寿命も、また同じー
自分を一本のキャンドルとして考える。自身の炎は、周りに分けても減らない。

周りを幸せな気持ちにする側、周囲に光を照らす側であれるような…人の魂を輝かすことができるような…そんな生き方は素敵です。

そして、心は鏡だから。
必ず反射して、お互いが輝き合える。

本当に、人が死ぬときは、いつだと思いますか?

先週に続き本日14日も、兵庫県 甲南大学にて 「死生学 〜日本の死生観〜」の講義をさせて頂きました。
今週は、もっと身近な「愛する人の死」とどう向き合い、どう「生と死」を捉えていくか-

本当に、人が死ぬときは、いつだと思いますか?
本当に、人を救うのは、誰だと思いますか?

人は多くを人から学びます。

愛も別れも、喜びも苦しみも。思いやりも憎しみも、生きる意味も死ぬ覚悟も。そしてそれはすべて「生きていてこそ」、実現・体験できることばかりです。

人が真に死ぬときは、いつだと思いますか?

本当の死とは、誰もその人のことを思い出さなくなるときです。話題にしなくなり、人の記憶から消えてしまうときです。

肉体は側にいなくても、心の中で一緒に生きているあの人のことを、いっぱい想うこと。話しかけ続けること。思い出を語り継いでいくこと。遺してくれた言葉や想いを、誰かに伝えていくこと。

自分が見ている目の前の風景を、あの人も一緒に見てくれている、そう信じること。

そこに幸せと感謝を感じることができれば、愛する人の死を経験し、悲しみや後悔を消すことはできなくても、今を肯定的に生きる選択は可能です。

人を真に救うのは、誰だと思いますか?

人を救うのも、それもまた、人の力と、人の言葉と、人の想い…人です。

皆さんが今日この時間の中で選択する行動が、発する言葉が、語り継ぐ思い出が、誰かに「ああ、今日まで、今日も、生きていてよかった」と思ってもらえることができれば…この世界はもっと優しい場所になる。

そんな願いを込めながら…毎年、学生さん達の真摯な眼差しと向き合えることに、感謝で一杯です。

Anju

自発性を大切に

12月7日 兵庫県 甲南大学にて、非常勤講師として「死生学」の講義 「日本の死生観」を、担当させて頂きました。
様々な分野の教授 研究者 博士の方々が、それぞれの観点から捉える「死生観」-

いま、何も影響を受けていない人、は存在しません。物質的にも精神的にも、何かしら必ず皆が身をもって、一緒に経験している様々なこと。

この激動の世界で、生きていくことを受け身とせず、自発的に「生」に気付き真っ直ぐ歩んでいってほしいから。

誰かに言われたから、皆がしているから、ではなく、自分で考えて、自分の心で決断して、自分の足で志を生きてほしいから。

そして、人生のさまざまな道に迷う時、そっと寄り添ってくれる言霊や場所が欲しい時…自然や社寺という環境が、いつもそこで用意されていることを、知ってもらいたいです。

講義は来週14日も続きます

……
極めて現実的で「実践的」である修験道の世界観から、「死」をメインにお伝えするのではなく、「生」を前向きに見つめ直して頂き、「明日からではなく、今から出来ること」を考えるきっかけになれば幸いです

花の清めの力

柊(ヒイラギ)の花の香りを、どう表現すればいいのか、毎年悩みます。
トゲトゲした魔除けの葉からは想像もつかない、優美な香りを放っています。ジャスミンのようで、銀木犀のようで、そうでない。

1年を通して、様々な植物のおかげで、境内は常に清められています。