住職先達で行く、大峰山登拝修行〜1泊2日編〜、本日朝、吉野山集合組が元気に出発致しました。
この後、他参加者と合流し、洞川登山口より登拝。
初めましての方々・定期的にお会いできる方たち・思いがけないきっかけで繋がった皆様含め、様々な形でご縁が深く広がり、有難いかぎりです。
大峯山登拝修行の様子ー
ミストの世界に包まれる大峯山。
時おり霧の中から、法螺貝や鈴の音が聞こえ、神秘一色な夏の終わりー
例年8月24日に斎行致します、地蔵盆法要への準備がすすめられ

お地蔵様をお身拭いさせて頂き、よだれかけを交換し、周りの草引
そして、お供養のためのお塔婆を手書きしています。
……
「中今(なかいま)」
今この瞬間を、今できる100%で生き、人生を全力で価値あるも
気の遠くなるような長い歴史と時間、そして数えきれないご先祖様
生かされている自分の命は、自分1人のものではなく、「他人事な
多くの人の想いと祈り、愛を引き継いで、生命の真っ只中である「
いま このとき ここで「ど真ん中」をどう生きるか。
数えきれない人たちの祈りを受け、生かされている自分のイノチ 大切な人たちのイノチに、感謝の心を片時も忘れない
同時に、自分たちの後で繋がれていく、奇跡そのもののイノチへの

Remember me
毎年8月24日の地蔵盆法要では、お供養のお塔婆(とうば)を書

お塔婆(故人のお名前 法名が書かれた木柱)の意味とは-
例えば、神仏が光の柱を通して、恐れ多くも 私たちの近くまで降りて来て下さり宿られるさい、「依り代(より
仏さまであれば、自然はもちろんのこと、多くはお像 彫刻 画などの「ご仏像」、神さまであれば、自然そのもの(山 磐座 樹木 滝 川…)や鏡 剣 御幣などの「ご神体」と呼ばれるものになります。
私たち人は、それらを礼拝の対象として、目に観える形で、その対
それと同じで、お供養のお塔婆も、故人にとって「目印」となりま
もちろん…心に想うとき、いつも側で、共にいて下さっている、大
ディズニーアニメ映画で大ヒットした「Coco(原題)/ リメンバー・ミー」を見ていると、お盆(All Souls Day)にご先祖様を迎えるために、人々は目印となる写真を祀り
同時に「忘れられる」ことが、人間として最も悲しく孤独であるの
他者満足で生きる意味を想います。
寿命- 私たち1人1人の魂に与えられた役目を果たした時、寿命が訪れる
「今」この奇跡そのものであるイノチを、どう全うするか。
人が生きる道-人生とイノチの、私たち人間の想像を超える、奇跡
Freedom or Liberty?
世界は、どんどん暗黒時代へと、逆戻りしているように感じてやみません。
戦争・差別・格差、あってはならないことが覆され、そこに疫病による心の活力の低下。
そのような現代で、組織・地域・社会・国・世界をより良い場所へ変えていこう…その意気込みや意欲を保つことも難しいと感じてしまいます。
一隅を照らす: 自分を光とし、身近な周りを照らしていく。

個々の力で、地球規模での「世界」を変えることは難しくても、自分の今日という「世界(日常・人生)」は、自分の選択で変えていける
そこから、自分の周りの「世界」を、まずは変えていく。
今の世の中が求めている「自由」は、Freedom(フリーダム)よりも、Liberty(リバティ)の自由です。
誰もが、幸せに生きる権利のために、未来へ伝えたい想いのために、困難と混乱の中であっても、行動を起こし、声を上げ、自分の力で、風を起こしていく。
たたかっていく。
いい意味で、周りを巻き込んで、未来へと、引っ張っていく。
責任をとっていく覚悟があるから、できること-
隅(すみ)を照らすことが、オセロのように気づけば…端から奥から軸を固めていく、結局は「急がば回れ」のように思います。