GAGA | ブログ@櫻本坊

やまと ことのは つづり

「だいじょうぶ」を伝えたい

「だいじょうぶ」を伝えたい

本日15日は、兵庫県 甲南大学にて、非常勤講師として「死生学」の講義 「日本の死生観」を、担当させて頂いております。

様々な分野の教授 研究者 博士の方々が、それぞれの観点から捉える「死生観」-
今までと違う、張り詰めた空気感が漂う大学内ですが、長期のオンライン授業を経て、対面授業になった学生さんたち。

その姿勢は、去年とは違うものです。

当たり前は、当たり前ではない–

身をもって、みんなが一緒に経験しているからこそ、今この瞬間を生きることの重み、一期一会の重み、学校に通える・学べる・夢を追えることの尊さ。本来すべてが「非日常」な中を、共に生きています。

自分の命を燃やしていくのは、誰でもない、自分自身。

この激動の世界で、生きていくことを受け身とせず、自発的に「生」に気付き真っ直ぐ歩んでいってほしいから。

そして、人生のさまざまな道に迷う時、そっと寄り添ってくれる言霊や場所が欲しい時…自然や社寺という環境が、いつもそこで用意されていることを、知ってもらいたいです

Anju

*極めて現実的で「実践的」である修験道の世界観から、「死」をメインにお伝えするのではなく、「生」を前向きに見つめ直して頂き、「明日からではなく、今から出来ること」を考えるきっかけになれば幸いです

講義は来週22日も続きます

すみのはしまで。

例年より遅く、大講堂の紅葉が真っ赤に。
ゆっくりゆっくり…色づいていく様子を見て感じることは、生命は葉っぱの端っこ(先端)にまで、きちんと巡っていることの事実。
すみのはしまで。
イノチはめぐる。
Anju

心の距離

ぴあ発行「お守り・おみくじ・おふだの本 関西版」雑誌内に、聖天縁結び絵馬・九重守が紹介されました。
本書で編集長さまも記されていますように、
この刻々と変わる状況下で、参拝者側の、社寺への参拝を控えさぜるをえない、でも神仏へ祈る心は持ち続けたい。
社寺側の、祈りと共に人々に寄り添いたい…そんなジレンマの中でベターな方法を、両サイドどちらも模索しています。

参拝が第一ではありますが、社寺・神仏との結ばれ方で、唯一永遠に変わらないことは、そこに心があるかないか。心の距離。そこにすべてがつきます。

いつか必ず時機をみて…実際に皆様の笑顔を拝見できる日が、1日でも早く迎えられますように。

Anju

Right Direction

光の射す方へ−
生命の向かう方へ−

自身の心の中に、すべてを既に持っている私たち。
Anju

*境内「吉野弁財天社」にて

その灯火を、どうする?

夜明け前の静けさと暗闇の中で

自身を1本のキャンドルとしてイメージした時、その炎はどのような揺めきでしょうか?
大きさは?色は?形は?

そして、その明かりは、周りをどのように照らしているでしょうか
主のキャンドルの灯火は、他のキャンドルへ分けられていき(分燈)、その場がどんどん明るく照らされていきます。

分け与えても、主のキャンドルの炎は、決して弱まったり、消えません。
なのに、既に十分ある灯火の尊さに気づかず、もっともっとと、欲しがる私たち人間。

自分のものが減ると感じるから、独占欲にかられ、想い合う心が欠け、争いが起こる。

「人に与えても、減らない灯火」
自身の生命の燃やし方、1本のキャンドルとしての在り方(人生)を、イメージングしてみる。
キャンドルの炎を燃やし続ける燃料、その想いが、まずは絶えないように。
その灯火を分け合い、ともに照らし合う、互いの存在の有難さを忘れないように。

この世界を明るくしていけるのは、決して他人事ではない…私たち1人1人の良い想いです。

Anju

自燈明(じとうみょう): 自身が燈明の光となる