GAGA | ブログ@櫻本坊

やまと ことのは つづり

はじまりは再び〜天武天皇〜

吉野山の紅葉は、今年は特にグラデーションが美しく、雨や霧の中でこその幻想的な風景が、一層心に残る秋になりました。

紅葉吉野駅

11月12日に始まりました、天武天皇御神像 御開帳は、先日の20日に無事結願を迎えることが出来ました。

修験道場ということで、当然ですが役行者さんの存在、神仏の全てを包み込む包容力と厳しさ、計り知れない自然の偉大さというものを、今だからこそ、ヒシヒシと感じることが増えました。

「なぜ修験で、天武天皇なのですか?」
とお聞きする事も同時に増えました。

当山の「はじまり」は、天武天皇(当時は大海人皇子)が夢の中でご覧になった、真冬の雪景色の中の満開の桜から、全てが始まりました。
(詳しくは当山HPの縁起をご参照下さい)

その一夜の夢、その一本の桜から、天武天皇 役行者 角乗和尚(当山第一世)の運命的な出会いへと繋がり、1350年もの時を経て、今に至っています。

天武天皇祭そしてご開帳の意味は、天武天皇へ、 当山櫻本坊を建立して下さった、道を開いて下さったことへの感謝をたたえること。そして、私達人間を導き、この道を繋げ守り続けて下さっている神仏へ感謝を申し上げること。

天武天皇ご神徳法要は、玉串を奉奠しながら、経典を唱えるという、神仏習合の法要神事両方で(共に)執り行われます。

榊

また、天武天皇の元のご神像は、かつてお祀りされていたそうですが、明治廃仏毀釈のさいに行方不明となりました。
岡倉天心デッサンのもと(東博所蔵)、東大寺大仏師(故)小野寺久幸先生と共に、復興させて頂いたのが現在のご神像です。

そのお姿は、神仏習合のシンボルともいえるお姿をされており、右手に笏(しゃく)左手に数珠を持たれ、神主の正装の上に、僧侶のお袈裟をかけておられます。

天武天皇は、「天皇」だけではなく、神道仏教にも精通しておられ、その視点で日本の国づくりをされました。
政治家であり、宗教家であり、また万葉の時代に生きたロマン溢れる歌人でもあったのではないかな、と今回あらためて感銘を受けました。

当山は、この方から始まった場所であり、この方がいなかったら、何も始まっていなかった道であったのだ、と。

時が流れると、どうしても風化していってしまうことがあります。
その時その瞬間は、その人や出来事や想いが主でも、時が経つと忘れていってしまう、忘れられていくことがあります。

その風化する中で、繋がれてきた、繋がれていく志や想いが存在する。
同じ方向を向いて一緒にススム人達と心が存在する。

『何をもって、そう思ったのか、しようとしたのか』

全てには必ず「はじまり」があって、そのはじめ、何を思ってはじまったのか。はじめようと思ったのか。
手段や形が様々な中、きっと、結局はそれは全て「人のため」「世のため」に繋がっているのだと思うのです。

天武天皇が夢を見たことから始まった道があるように、私達も夢をみ、夢を持ち、夢に向かって進んでいく。
意味合いは違っても、最初に持つのは目標という「夢」であり、叶えたいと願う「想い」です。

私達は、目の前のことに必死で、生きることに必死で、そのはじまりを忘れがちになって、なぜこの道を行くのかを忘れがちです。

想い 気持ち 心 がどこにあるのか。

天武天皇の想い、役行者の祈り、この道を行く全ての生きる道。

歩み方は違っても、ススム方向は同じで、人を想い、世を想うその心は繋がっている。

時代によって繋げ方、在り方が変わる事があっても、その最もな根本の「原点」「初心」を忘れなければ、必ず「再生」「再出発」をしていける。

今年の10月1日、聖天祭により、当山は原点に戻りました。
そして11月13日、天武天皇御神徳法要により、再出発という形で…当山の「はじまり」の幕が新たにあがったように感じます。

人と人を結ぶのは、心であり命であるように、神仏と人を結ぶのも、それもまた真心であり魂である、と。

その心と命、真心と魂を繋いでいく意味というものが、全ての「はじまり」の中に満ちているのだと、今年の天武天皇ご神像のお姿を見て、教えられたようにも感じます。

そんな当山の今秋の再生と再出発が、1年後、3年後、5年後、10年後…この道を共に行く一人でも多くの方の心にも伝わり、繋がっていきますように。

Anju

シークレットガーデン

天武天皇御神像 ご開帳中たより

魔物の目を突く魔除けの植物、と言われる『柊(ひいらぎ)』

当山の高倉稲荷明神が祀られている中庭では、柊の花の香りでいっぱい
昨日・今日のような、特に雨や霧の濃い日に強く香ります

ジャスミンの生花の香りに似ているって、ご存じでしたか?😊💐

季節に寄り添うように、植物や虫達が循環する境内

青い鳥や小鳥の集団は、今年の初めから当山に住み着いているようです🐦
堂内や台所にも飛んで入ってくることもしばしば😳😆

まさにワンダーランド

天武天皇御神像 ご開帳は20日(日)までです
ご帰山お待ちしております

Holly leaves -Hiragi- is attracting us by spreading their delicate scent:) just like jasmine, they know how to bloom in storm:D

Anju

天武天皇祭

本日は天武天皇祭が執り行われます

はるか1350年もの遠い日、天武天皇が夢の中でご覧になった、真冬の雪景色の中の満開の桜
その夢から全てが始まった、櫻本坊の道

天武天皇 役行者 角乗和尚(当山第1世)の運命的な出会い

それぞれの想いが繋がれ続けて至る今日

10月1日 聖天祭により、原点に戻りました
そして本日 天武天皇祭により、『はじまり』の幕が新たにあがります

本日11月13日 午後13時より
天武天皇御神徳法要 (神仏習合の貴重な法要)

謹んでご案内申し上げます

サロモンシューズ

ヨーロッパ発のマウンテンブランドである、サロモンシューズ👞👟
去年、ヨーロッパから4名の外国人取材班の皆さんが、大峰山に登られ、そして紹介により当山にも足を運んで下さいました。

「山と人の繋がり、自然と命の循環」
その時撮って頂いたインタビューも、SalomonTVの一部に映して下さっています。
ありがとうございます。

https://www.facebook.com/salomonrunning/

We were interviewed by the european shoes company Salomon last year, and now it’s on the SalomonTV.
Thank you Salomon for this amazing video!!

Anju

雨降って地固まる

毎月1日・16日は、聖天さんのご縁日です。
そして本日10月16日は、満月!
聖天祭・十一面観音ご開帳法要が執り行われました10月1日は、新月でした。
月の満ち欠けと万物との繋がりや引き寄せを感じながら、本日のブログを書くに至りました。

10月1日・新月の夜、予報通りの雨による不安定な夜空。
しかし、真夜中12時頃に、空を覆っていた真っ黒な雲が晴れ、天の河に近いと言っても過言ではない、満天の星空が見れた時間帯がありました。
新月の夜空の時にこそ見れる、漆黒の空に映える、まばゆい星の輝き。
少しすると、また分厚い雲に覆われ、しびしびと雨が降り始めました。

太陽も月も星も、それぞれ発する光は違っていても、必ずそこに、空に天に、輝いていることは確かです。
月は、雲に覆われていようがいまいが、姿が見えようが見えまいが、地球の周りをまわり続け、海の満ち引きや自然界・または人間の身体のサークルといった、循環を促してくれていることには変わりません。

光はいつもそこにある。
雲に覆われて、目に見えてその光を見ることができなくても、そこに光があることに変わりはない。
目をつぶってみて、心に浮かぶその希望の光を心で見る、星の王子様になりきった、1日の夜でした。

聖天祭

そして、迎えた1日の朝は、降り続ける雨。
しかし、この雨は、浄化の雨であって、十一面観音さんの喜びの雨だったのではないでしょうか。
観音さんは「陰」を好むといわれており、雨であったり月光であったりする、と、ある書物で読んだことがあります。
そして、不思議なことに、13時からのご開帳法要の頃には雨はやみ、聖天堂に向かって太陽の光が真っ直ぐ射していた風景が、とても印象に残る法要でした。

そして芳しく咲いていた銀木犀の最後の花びら達が、この日散りました。

本年度より、聖天祭の法要内容と時間帯が変更になり、その変更の通知や伝達に関しまして、皆さまにもご協力頂きましたこと、誠に感謝申し上げます。

歴史の中で長く続いていたことを、本来のあるべき形・姿に戻す、初心に帰って軸を立て直す、変えていく、ということは、当然ですが、たった一晩・一日でガラッと変わるものではありません。もちろん、立て直した軸の「根」をゆるぎないものにしていくにも、そこら数年でできるものではありません。
「リフォーメーション・改革」と「レボルーション・革命」の違いにも言われるように、ゆっくり時間をかけて変えていき徐々に受け入れていくか、パチッと指を鳴らした瞬間にすべてが変わりすぐに受け入れる必要があるか。
それが、どの状況で、どう受け取られたであっても、どちらであっても、どちらにも、そこに至るまでの長い長い道のりがあり、重ねられてきた深い想いと祈りがあり、「変えていく・変わっていく」必要があったから、それが全ての原点である、と個人的には思うことです。そして、これから更に積み重ねられていく祈りと言動力と、真心の日々が続いていきます。

法要の内容が変わったとしても、神仏に向ける心に限りはありません。
参拝者の数の多少に関係なく、その場にいる人の心と、神仏の心が共に一つになれば、必ず祈りは繋がるはず。
護摩がまさにそうです。護摩は、コスプレイヤーによるキャンプファイヤーでは決して、決してなく、祈りを神仏と繋ぐ神聖な法要です。護摩木1本1本にこめられた、1人1人の想いを繋ぐ。
でも、そこに、心がなければ、何も始まりません。
人間の都合だけで、人間だけで盛り上がる形ではなく、何よりも神仏が求められる望まれる喜ばれる形で、人間として出来ることを精一杯させてもらう。「ご奉仕」は神仏へ向けてすることである、と。
そのもっとも根本な初心こそ、今の時代に、あらためて見直す必要があるのではないかな、と自分を含め、心の向け場所や向け方を考えさせられます。

真心こそ、神仏の、そして人の心を動かす原動力。
目に見えることでないことほど、難しいけれど、その真心を持つことが、日々日常を「生きる」ことであり、「祈り」の意味なのではないかな...

祈願の前に、まず感謝をする心。
今年の10月1日の変化は、その原点へと心を戻し、そしてこれからも続く祈りの道へ心を進ませてもらえた日でした。

皆さまにとっても、1日にスタートした新月が、今日の満月へと満ちたように、心が充電された日々でありましたように^^

Anju