GAGA | ブログ@櫻本坊

やまと ことのは つづり

得度式~当たり前を極める~

5月6日・7日、得度式がありました。

当山では、年に2回(春と秋頃)行われており、毎回、様々な想いや誓いを胸に、様々な方々が得度を受けに来られます。
今年は、ドイツ人女性が、得度を受けられ、祈る想いにボーダーは存在しないことを、更に実感する日々です^^

得度、と辞書でひくと、よく目にするのは「出家するための儀式」と書かれています。
が、現代では「僧侶になるための儀式」の意味だけでなく、仏の心を敬い、心身の浄化を志し、自己認知を深め、人へ社会への自分らしい貢献の仕方を見出す(あくまでも私の表現の仕方です)、このように、1つの門を開く、という形で、どなたでも、得度を受けて頂けます。

ただ、その門を自らの手で開けて、その先に続く道を、「信」という軸を持って深めていきたい、という気持ちがあるかどうかの面接を、必ず受けて頂きます。

「受けろ、と言われたから来ました」
「~をするのに必要だから、しょうがなく受けに来ました」

といった気持ちで望まれる方には、申し訳ありませんが、受けて頂けません。
人に言われて来た、ではなく、自分の意志で来たかどうか。
嫌々来た、ではなく、心から望んで来たかどうか。

その、心の持ち方を特に意識しています。

また、得度を受けることはゴールではなく、始まりにすぎません。

「得度を受けたから全てが修了で、何をしてもいい」
「得度を受けたから、私は人と違って偉い」
「得度っていう、また新しい資格を取った」

そのような事を言われる方がいらっしゃる、と、よくお聞きすることがあるのですが、そういった感覚で得度を考えている人がいることに、少し悲しく感じます。
いろんな意味で、「信仰」を見直す時期がきているのではないのかな・・と感じます。

本当の意味で、この門を開けて歩んでおられる姿は、ありのままの自分を受け入れ、平等で、謙虚で、人を理解し愛することに努力されています。

以前の記事でも触れたことですが、修行とはいったい何のためにするものなのか。
道場に来たときだけ、人が大勢いて見られているときだけ、見えてるところだけ、そこでだけ。形だけ。恰好だけ。口だけ。
そしてその心持ちが、人への態度や、物の扱い方や、例えば掃除の仕方一つとっても、そのまま形になって表れてきます。

日常を丁寧に生きることこそ、毎日の生活を大切に生きることこそ、何よりも大切な修行ではないでしょうか?

自分のありのままを受け入れる勇気を持つこと。
目の前にいる家族を愛し、仲間や友人を尊重し、人それぞれの違いを認めること。
自分と意見や価値観が違う人を否定し排除するのではなく、自分より弱者と決めつけて人を馬鹿にするのではなく、生きている間に、どれだけ自己認知を深めれ、人を理解し愛せるか。
見返りを求めない、社会・人への貢献ができるか。
人の幸せを素直に喜べ、それが自分の幸せとして感じれるか。

滝を浴びる、護摩をたく、お経を唱える、山に入る、荒行だけが、決して修行ではありません。

人への感謝の気持ちや、自然界で生かされていることへの感謝。
日常生活の中の当たり前ができなくて、その当たり前をないがしろにしてしまっていては、例えば荒行だけしても、根本的なところでの軸が立たないように思います。

スポーツでも学業でも、基礎が一番大事!基本ができなくては、何もできない!
まさにその通りやな~と私も常日頃、できていないことだらけで、反省ばかりですが、この考え方をいつも頭に置き、初心に戻り、まずは普段の生活を見直すよう心掛けています。

得度講習お昼

得度受戒会を迎える前に、心得や作法を含む勉強会があります。

そして、座学だけでなく、実際に体を動かしての作務の時間もあります。

作務は、何も特別なことをするのではなく、境内の草ひきや、お堂周りの掃除、トイレ・お風呂掃除など、普段家でする基本的な作務と何も変わりません。
掃除は、自分の身の回りだけでなくて、例えばそこに次訪れる人の気持ちを心地よくすることができる、これも1つの人への貢献だと思います。


たかが掃除、されど掃除。

掃除するときの気持ちは、そのまま掃除の仕方や、仕上がりに形として出てきますよね。
道場での作務ってもっと特別なことをするのかと思ってた!と感じるかもしれませんが、大切なのは、日常生活に根付く、最も根本的で「当たり前」なことに、今一度気づいてもらうこと。
(よくよく考えると、道場での日々というのは、何も特別なことはなく、同じように、日常の当たり前を生きています)

その作業をしているときに、どんな感情が心の中にあって、どのような気持ちでしていて、何を思い、誰を思い、どうその時間を過ごしているのかを、自身で気づき知ること。
そして、得度を終えて、家に帰ったとき、どうその体感を生かしていけるか、生活の中に根付かさせていけるか。
「当たり前」を「当たり前」にできていけるか。

それが大切だと考えています。
このような毎日の「当たり前」を「当たり前」にする誰もが、既に修行者!ではないでしょうか^^

また、同じ時間を共に過ごす人達とのハーモニーを学ぶこと。

もちろん、私たちは人間だから。
感情があるから。
誰だって、苦手だと感じる人がいて当たり前だし、体調や気分によっても人への接し方に変化が出てしまうのも当たり前。

だって、人間だから。
完璧な人なんて存在しないから。

そんな一瞬一瞬を流れる感情の波や、氣の流れの中で、その場で共に過ごす人たちと、いかに調和を保てるよう心を向けれるか。

例えば、一人でもなんとなく機嫌が悪かったり、なんとなくピリピリしてる感じがあったり、それが、知らずのうちに、目に見える形・目に見えない形で、態度や言葉遣いや目つきや波動として出ると、それだけで場の調和は乱れてしまいます。

その感情を持つことは、全然悪いことではなくて、むしろ当たり前なことですが、可能な限りで、調和を保てるように、自身に、そして相手に心を向けれると、きっと自分たちを取り囲む周りの環境は平和で幸せで笑顔に包まれ、それが世界平和に繋がっていくと思います。

奥駆修行でもそうですが、30人前後で5日間、山岳修行を共にすることは、自然の中に息づく生命や神仏を感じること、自身の内面と対話すること、祈ること、そして人とのハーモニーを学ぶ場でもあります。
歩くスピードや、歩幅の違い、年齢も職業も生きてきたバックグラウンドも、何もかも違う人たちが集まって、共に歩くのだから、やはり最初は、その全体の歩調や歩幅に慣れるまで大変ではないのかな?と思います。
皆がそれぞれ、自分のことばかり考えていたら、きっと全体のハーモニーは保てなくなるでしょう。
怪我をしたり、文句や愚痴や人のせい、という負の感情が心を支配してしまうでしょう。
でも、相手のことを想いあいながら、支えあいながら、共に進む道には、そこには調和という、その道を示してくれる光となるのではないでしょうか。

そして、その体感こそが、人生を、社会を生きていくなかで、人と共に生きることの意味を示してくれるのではないのかな、と個人的にはそう考えています^^

全ては、相手があってこそ。
そして、生命があってこそ。

一人で生きている人はいなくて・・
「他人事」の命は存在しなくて・・
全ては、人は、みんな繋がっているから。

得度作法

そのような「当たり前」を見直し、ハーモニーを意識し、何かしら、この2日間が、皆さんにとっての「きっかけ」や「気づき」となったことを、また、なっていくことを、願ってやみません。

自ら開かれた門を自分らしく歩んでいかれるみなさんへ。
得度式を終え、あらためてお伝えしたい言葉は、

「お誕生日、おめでとうございます!」
です!

戒名という新たな名前に、自分らしく、魂を吹き込んでいかれますよう、自分らしく、生命を生きていかれますよう、心からお祈り申し上げます。

「産まれてきてくれて、ありがとう」
命の誕生の瞬間を喜ぶのは、命の全うの瞬間を悲しむのは、親や家族だけではなくて。
そこには、必ず、繋がっているたくさんの人たちの命や人生や想いがあって。

与えられた命を、与えられた所で、与えられた形で、自分らしく生きること。
それも、一つの愛の形であり、そして私たちにできる、最大の貢献であり恩返しであるのではないかな・・^^

毎日が、誰かの誕生日。
5月7日 得度式、皆さんの誕生日を、共にお祝いできたこと、幸せに思います。

全ての繋がるご縁に感謝です。
ありがとうございます。

by anju

ひらけごま

5月3日 午前3時
大峰山の戸開け式が行われました。
まだまだ暗闇と寒さの残る静寂な聖地での戸開け式の後の、朝日に染まる空の美しさと澄んだ空気は、住職から送られてきた写真からも伝わってきました。

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9月23日の戸閉め式まで、5か月近く、大峰山は修行者を受け入れる季節がきました。
7月には奥駆修行もあり、真夜中から早朝にかけて、吉野山中に修行者の法螺貝の音、錫杖の音、リュックに付けられた鈴音、そしてお経を唱える声が鳴り響きます。
(午前2時半に吉野を出発し大峯山をめがけるため)


大峰山上の櫻本坊 参籠所でも、縁の下の力持ちの方達がいて下さっています。
修行者の皆さんを迎えるため、到着された方の疲れを癒せるように、出発する方の道中の安全を祈りながら、山上 櫻本坊の守をして下さっています。
また、戸開け式をめがけて来られる方のためにも、4月末から山上に登り、準備をして下さっていました。
そして、行者さんの中にも、ご奉仕で、その準備のために同じく早くから山上に行って下さり、参籠所の工事や掃除や、さまざまなサポートをして下さっていました。


どのような行事・法要・神事でもそうですが、支えて下さる方々がいて下さるから、全ては実現でき、祈りの「現場」を守ることができること。
櫻本坊1つをとってもそうです、例えば僧侶1人で出来ることは限られています。そこに携わる人間だけで出来ることはほんの僅かです。
多くは、やはり支えて下さる方達がいて、祈る想いを分かち合える方達が来て下さるから、共に手を合わせれる空間があるから。
神仏と、皆一人一人の祈りと想いが1つになってこそ、それこそ「ひらけごま」は本当に道を示してくれる。

こういった方々の存在を通して気づかされ、本当に毎回同じ文章の繰り返しになりますが(何度でも書いていきますが^^)感謝の気持ちで溢れてきます。

山
山に入ることは、自然と一体になり、自分と向き合う貴重な時間です。

自分と向き合うと、自然と相手とも向き合い、人を想う心に気づかされるのではないでしょうか。
一歩一歩が、祈りの道であり、その一歩一歩を踏みしめる道も、また生命の道でもあります。
地球・自然は循環し続け、その調和の中に生かされている私たち。
全ての命の存在の平和や愛や幸せを願う道。

数ある聖地と呼ばれる場所に流れる Circle of Lifeに教えられる事はいっぱいです。

私自身、去年の10月、十津川村から、釈迦ヶ岳~楊枝宿の山道を歩きました。
私にとって、人生2度目の本格的な山でした。
(1回目は弥山でした)

釈迦ヶ岳

山に入って、ひたすら歩いたその12時間は、人生を歩む自分の立ち位置と重なり、人生を教えられたようでした。

転ばないように下ばっかみて歩いてると、道の全体は見えません。
でも、そこには動物の足跡があって、植物の健気な姿に勇気づけられます。

周りの景色に気をとられて歩いてると、自分の足もとを忘れがちになります。
でも、雄大な風景に抱かれ見守られている心地よさに、ちっぽけな悩みや不安は消えていきます。

水たまりがあったり、分かれ道があったり。
避けるように歩いても、違うところでは避けられなかったり、右の道を選んだけど、結局は左の道を選んでいても、最終的には同じ場所にでたり。

こんな山道に、それでも先人達が歩いてきた道筋は、失われずに続いているのです。
その道筋だけ、植物は咲かずに、まるで人間のために、迷わないように、道を示してくれているのです。
そんな山の、私たちに向けられる優しさを感じ、その道筋を辿れる喜びを感じました。

例えばご先祖様や、歴史を切り開いてきた偉人達が歩いた足跡が、今を生きる私たちの前を向いて生きるヒントや希望になったり。
いや、ひかれたレールの上を歩くのは嫌だ、道なき道を行くんだ、自分で道を切り開いていくんだ、その熱意や勇気や原動力も、隣で同じように道を繋げ歩く仲間やライバルの存在のおかげだったり。


山を歩くことは、まるで人生そのもののようでした。

でも(季節が季節でしたので)他に誰も歩いていなくて、この地球上に自分たちだけしかいないように感じて、風の音が話声のように聞こえてきたり。
霧がでてきて周りが見えなくなって、日が沈む直前の焦りや、暗闇の中を延々と歩く恐怖。
野生の鹿の群れに遭遇して、ハラハラしながら横切ったとき、鹿達は私たちが見えなくなるまで、じっとこちらを見つめていたこと。

神仏が宿る山は、偉大であり、そして孤独でした。
想念の世界って、こんな場所なのかな?
そう思わせられた経験でした。

自然の優しさと、自然の怖さに気づかされた経験でした。

山を人生のように例える意味が、少し分かった気がしました。
入口は違っても、その登る道が別々でも、登るスピードや登り方が違っても、目指す山頂は同じ。
試練の中にも、喜びの感動の中にも、全ての中に求める答えや真実があって。

そこには、必ず自分たちを見守ってくれている存在があって。

それが人生っていうものじゃないのかな。

 

大峰山が今年も開いて、そんな去年の事を思い出してた今日。

修験は、仏教・儒教・密教・道教・景教・陰陽道・神道・・・などが融合した「道」です。
山に入ること、滝を浴びること、護摩を焚くこと・・
自然に全てを委ね、まず祈ることから始まる「道」が、そこにはあります。

マザーテレサの言葉のように、世界平和のために出来ることは、まずは家に帰り家族を愛することから。
自分を愛すること、それだけ聞くと・言うと、自分本位で勝手な人間だ、と聞き取られてしまいがちですが、人を幸せにするには、自分が幸せでないと、自分が満たされていないと、人の心を幸せで笑顔で満たすことはできません。
まずは自分という存在を愛し、そして家族を愛す。家族の幸せが、それが自分の幸せだから。

その先に、自分や家族の幸せだけでなく、人の幸せを願い、人の幸せに繋げていくのが、その「道」の1つの目的ではないでしょうか。
人の幸せが、それが自分の幸せだから。

お釈迦様の歩いた跡には、花が咲いたといわれます。
今、この瞬間を生きる私たちの歩く道が、沢山の幸せで満ちていますように。
今、この瞬間を生きる私たちの歩く道が、誰かのための道しるべとなっていきますように。

大峰の山々を歩かれる方達の、全ての命の幸せと、道中安全をお祈りしています。

by anju

ハピネス

櫻本坊の境内では、季節ごとに沢山の植物が顔を見せてくれます。

最近では、中庭の鈴蘭が咲き始めました!
20年前までは、夢見の桜の周りを囲むように大量に咲いていたそうなのですが、いつの間にか咲かなくなり、ここ数年中庭に移動し(笑)咲き始めた鈴蘭たち。

リリーオブザバレー

館内を歩いていると、ふわっと、とっても良い香りがして、思わずクンクン^^笑
風にのって運ばれてくる、あまりにも素敵な香り。
空気が澄んでいるからこそ、この微かな香りも察知できるんやなあ〜
とあらためて幸せを感じます。

香りの心身への効果ってバカにできなくて。
植物療法の学校で、嗅覚について学んでいるとき、そのメカニズムにすごく納得しました。

色んな種類の精油を香る(使用する)機会がありますが、精油が大好きな私でも、やっぱり1番良いな!と思えるのは、生の植物の香り。
その季節にしか香ることができない香木や草や花の香りを愛でることが、何より心の平和と幸福感を満たしてくれます。

そこに生命のエネルギーが溢れているからだと思います。
人間の生命もそう、命あるものは美しい。

心地よく感じる香りや、落ち着く香りは、もちろん人によって様々ですが、寺社仏閣を包む香りというものにも、全て繋がりと意味があるのだ、と再確認できました。

古来、祈りが医療であり治療であると考えられていた時代、そこには祈りだけでなく、お香の香りや、蝋燭や炎の光、言霊を含め、薬草や食養でのお手当も共にあったのは事実です。僧侶が看病として実践していたアーユルヴェーダが代表的ですね。

当山の境内、また周りの自然の中は、今まで気づかなかったけれど、実は薬草・ハーブの宝庫。

ハーブ(実際に採れた薬草達!ローズマリー・スギナ・ネトル・セージ・ペパーミント・ヨモギ・メリッサ)

ヤマト橘

(こちらの大和橘は、自然にあったものではないのですが、ご縁で今年の初めに植えられ仲間入りしました。身体に良いのはもちろん、場の浄化にも良いのだそう)

浄化のハーブも多いので、こういった植物や自然によっても、神仏は守られてきたんだろうな〜と、自然と神仏の共存の歴史や、自然に手を合わせる精神をもつ私たち日本人の心を思いました。

空にも木にも川にも石にも土にも・・全てに神様は宿っていて。

櫻本坊を包んでくれる環境の一つの理想の姿・形として、これからも自然と共に時間が流れるような、例え小さな一輪の花でさえも、訪れる人の心を癒せるような・・そんな自然界・地球・宇宙からの愛が溢れる場所でありたいです。

ここ数年、当山の流れに変化が沢山ありました。
(現在も進行中です^^)
その変化は、違和感や反抗や葛藤や否定や拒絶ではなく、むしろ本当のありのままの姿に戻るような、軸をたてなおし更に深く根を張って行くような、心の自由に導かれるような。

修験道だから、こうあらなければならない。
今までこうだったから、これからもこうでなければいけない。

そんなことありません。

伝統や教えは守ることだけではなくて。
もっと大事なのは伝えていくこと。繋げていくこと。

「一般の者はダメですか?」
「行者さんしかダメですか?」

そんなことありません。

伝授の内容によって受講条件(得度)がある場合を除いて、全ての方にオープンな場所であります。
これからの大きな課題としては、堂内・館内全てをバリアフリー&エコフレンドリーへと近づけるよう努めていきます。

大切なのは、あらゆる繋がりの中に、祈り・愛・感謝・希望・信じる気持ちで満ちているか。

こうあらなければならない、ことなんてないし、絶対もない。
それは、陰陽の考え方を通して、腑に落ちた事実です。

女性は陰性で、男性は陽性?
日本を作った神様は女性で、女性は太陽だから!陽性でもあるよ!

こんな風に、絶対はなくて、全ては球体みたいにいろーんな面を持っていて。それぞれが存在するから、お互いが活きて。

だから、こうあらなければいけない『未来』なんてのも、ありません。

心は自由だから。

何のために今生きているのか
それだけは それさえ忘れずに
あとは一本筋通していくことが大切なんだと思います

なかなか目には見えるものでもなく、すぐに形になるものではありませんが、自然は、私達の想いに答えててくれているように感じる日々です。

青い鳥が境内で毎日のように歌ってくれていて、フクロウも入ってきてくれて、ツバメが巣を作ったり、あんなに小さいてんとう虫なはずなのに、結構な頻度で境内の至る所で見かけたり。

そして、これもまた幸せのシンボルである鈴蘭が、数年前よりも増えてきていること。

何ともないことかもしれませんが、こういった平和で幸せに満ちた場所に、もっともっと近づいていきますように!

本物を提供できる場所
沢山の人の幸せが叶う場所
良縁に満ちた場所
心身のケアができる場所
背中をそっと押してくれる場所

どうすれば幸せになれるのかは、これもまた十人十色ですが、今の地点で私が思うには、まずは自然を愛することなんじゃないかな。

自然を愛することは、生命を愛すること、自分を愛すること、人生を愛すること、家族を愛すること、そして人を愛することに繋がっていくと、私が個人的に体感し、特別に何かあったわけじゃないけど、真っ先に幸せを感じれる毎日になり、自然という原点に戻りました。

太陽の光と暖かさに感謝する心
光は希望そのものだから
暖かさは幸福そのものだから

大地の上に立てる尊さに感謝する心
田畑に育つ食物は生命そのものだから
踏みしめる一歩の支えそのものだから

海川雨の水の循環の時間に感謝する心
全ての命へ送られる贈物そのものだから
私達の母なる存在そのものだから

これからも、自然に手を合わせる心をずっとずっと忘れずに
祈りと感謝の心がずっとずっと繋がっていきますように

当たり前こそ奇跡
日常の何気ないところに
真実は沢山あるから^^

今日も、明日も、明後日も、たっくさんの人の幸せが叶う日々でありますように・・・!
ツツジ不動君

by anju

同じ空の下で

4月7日〜18日、重要文化財である白凰時代の釈迦如来坐像の特別ご開帳、今年も無事終えることができました。

沢山の方にご参拝頂きました。
ありがとうございました。

また出仕者の行者さん達のおかげで、受付けから堂内案内、境内警備に整備、またその他の目に見えない所でのご奉仕に感謝の気持ちでいっぱいです。

毎朝の勤行での法螺貝の、力強く澄み切った音が、境内に心地よい風を吹かせてくれました。

加地さん

特別ご開帳期間中の出来事を振り返り、ハイライトの記事を書きたいと思います^^
8日に行われました 花まつり、朝日新聞さんが取材に来られ、翌日の9日に記事が掲載されました。
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年々、ありがたい事に、メデイア関連の取材も増え、また海外の取材チームの問い合わせも多く、最近ですと、ドイツ、オーストリア、またオーストラリアからチームで来られました。
(修験道や仏教・密教をテーマにした内容のみならず、日本の精神力をテーマにしたものであったり、ジャパニーズカルチャーの1部としてであったり、シューズカンパニーの取材では山伏の衣装や履物についてであったり・・と様々です)

また海外からの観光客の方の増加で、境内・館内・堂内の英語表記も可能な限りまとめ(更なるインターナショナルな環境作りに励みます)、事務でも英語の話せるスタッフがいる時は、積極的に説明や案内を心がけています!
今年は、絵馬や護摩木の願い事は、英語や中国語、スペイン語にフランス語と多いようでした。

目標は、やはり世界に向けてオープンな場所。
言葉や人種の違いを超えた、人と人が共に想い合う心が溢れる場所。

特に護摩に興味を持たれる海外の観光客の方が多く、なかなか仏教用語と専門知識を英語で説明することは難しく感じますが、日本・そして人の底力である「祈る力」「想う力」をもっと伝えて発信できるよう、自身も努力していきます。

また、大変混雑する春の吉野山で、ここ数年、当山のメデイテーション・ルームを目がけて来て下さるリピーターの方も増えました。

広間
百畳の間は、ご拝観される方どなたにも入って頂けます。
(*食事と飲酒はご遠慮いただいております)
鳥の歌声と、外から入ってくる微風、お香の香り・・
桜の景色を、このお部屋から見に来られる方も多いですが、実はそれよりも多いのが、畳の上に座って好きな間だけ静かに自分と対話する空間を求めに来られる方です。
(長い方で2時間以上滞在される方がいらっしゃいました)

帰り際に
「すごくスッキリしました。同時に満たされました^^」
と言って帰って行かれる表情に、こちらも嬉しく思います^^

海外から来られた方も「ZEN」をよく知っておられる方が多いので、よくこの広間で禅を組まれてゆっくりされています。
また、よく鳥が中に入ってくることもあります!先週はフクロウが入ってきました・・!
不思議なことに、障子も破らず、ふすまや書には傷一つつけず無事外へ出ていきました^^
幸せな空間ですね^^

詳細は、また時期を追ってお伝えてしていきますが、6月に東京で奈良を発信するイベントがあり、そのための取材と撮影が、少しずつ進んでいます!
当山からも、住職・書禅家としての顔も持つ奥様・そしてブログを担当しています私も出演させて頂きます!


sneak shots of “behind the scene”….
この日の撮影はドローンによるもので、吉野山の桜をバックに、如意輪寺さんと一緒に映像出演のワンシーンを撮って頂きました。

テーマは『未来』

プロの撮影クルーの皆さんと朗らかな時間が流れ、幸せなひと時でした^^
また日を追って、様子をお伝えしていけたら、と思います!

そして、記事の最初にも書きました、沢山の方に支えて頂き、当山はこの場所を守り伝え続けることができます。
例えば、境内に咲く小さな花一輪、その花が季節になると可憐に咲いてくれるのも、自然界の当たり前の循環のようだけれど、土や草の状態を見てケアして下さり、雨の日も晴れの日も雪の日も・・・境内の言わば土台作りをして下さる方達がいてこそ。
温かな心を向けて下さっているからこそ。
(六根清浄Tシャツの後ろ姿を撮らせてもらいました><)

坂本さん
1年を通して、境内や館内の整備だけでなく、この場所に来ることをライフワークの一つとし、また来るのを楽しみにしているんです、と言って下さる方達の支えで、当山の様々な行事は可能になります。

目に見えない所でのご奉仕について、深く考えさせられます。
沢山の人が見ている時だけ、賑わっている所だけで、人を含め目立つ事の方が取り上げられがちですが、その前後の準備や片付けや掃除、それこそもっと深い所で、普段から作業をすすんでして下さる方たちの姿は、なかなか気づかれません。


春の事務所は、朱印を求められる方の列が絶えない日々。
近畿各地から、泊まり込み、または通いで、春(特に週末)は、事務所にもサポートの方たちが来てくださいます。
どんなに忙しく、目が回るような状態の時も、笑顔を絶やさず、言葉をかけあいながら、とても穏やかな雰囲気が流れる空間を作って下さっていました^^

また朱印はお札と同じですので、一文字・一筆、心をこめて。
朱印ノートを受け渡すことも、一期一会。
すべてがご縁です。

そして、何より大事な、トイレのお掃除。
当山は、常にトイレは綺麗に清潔に保つよう心がけています。
いわゆる・・トイレの神様も大切に^^
普通なら嫌がる作業ですが、そういった現場でこそ、人が嫌がることを、できる限り率先していけるように。
誰も見てないから適当に・・見えるところだけ綺麗に・・ではなくて、誰も見ていなくても一生懸命すること。

普段の日常生活の当たり前ができなくて、日々生かされていることに感謝の気持ちを持つことができなくて、例えば道場に来た時だけ「修行」する、その時だけ、そこでだけ、それでは結局何の修行の意味があるんやろう、とふと思う出来事によく遭遇します。
お掃除の仕方一つとっても、その方の気持ちがすごく表れますよね。
本当の意味での徳の積み方、それは損得の得だけで動いているようでは、いったい何のために「修行」を求めているのか、よく考えさせられます。

以前、一番「無」になれる時とはいつか、住職に聞いたことがあります。
返ってきた答えは、こうでした。

「トイレ掃除をしているとき^^」

人が気持ちよく使ってもらえるように、来た時よりも美しく!をモットーにしています。
おかげさまで、当山のお手洗いは、よく参拝の方に喜んでいただいています^^
ネットでのレビューでも、トイレが綺麗!とお褒めのコメントをいただきました^^
ありがとうございます。

ザッと!書きました^^
このような素敵な方たちに支えて頂いて幸せです。
前の記事でもありましたように「縁の下の力持ち」の存在を、このブログを通してお伝えしていきたいです。

本日の吉野山は、晴天。
ちょっと動くと、汗ばむ季節になってきましたね。
風がむわっと暖かく、初夏を迎える準備に自然も入ったようですね。
夢見の桜の緑色が爽やかです。
八重桜は散り姿までキュートです^^


記事の最後になりましたが・・
今私たちが見上げているこの青空を、どうか、穏やかな気持ちで、愛する人たちと共に見上げる日が早く訪れますように・・・

熊本のみなさんへ、当山からもお祈りしています。
体は関西ですが、心は皆さんと共にあります。
どうか、どうか、ご無事で・・

by anju

やえ

さて
吉野山の桜の季節も、そろそろ終盤。
あっという間に時間は過ぎていきました。

しだれ降る
しだれ夕陽
葉桜になった夢見の桜の下にもぐるように立つと、上から枝が降ってくるような視点に、何だか安心感を感じたり。

夕陽が照らされる境内には、そろそろいつもの静けさが戻りつつあります。

今日は、八重桜について。
月の満ち欠けのリズムを意識しながら生活していると、日々、身体やメンタルの変化や流れ、また自然界の変化なども感じとれるようになってきました。

例えば、桜の季節である4月は、桜の香りをふと強く感じる瞬間があります。

色んな所では「さくらの香り」や「さくらの味」のものが多く出回っていますが、本当の桜の香りをご存知ですか?^^

月の満ち欠けと桜の香り。
満月の夜に満開の桜が一斉に香り立つ事は、よく知られています。

満月は Full Moon、生命力が満ちる日。
自然界も、私たち人間も、たっくさんのエネルギーの影響を受けています。

full moon

今年の4月の満月の日は、7日と22日。
残念ながら、こちらでは7日は雨の日と重なり、また桜の満開とずれたので(22日は満開が過ぎます)、はっきりとした香りを愛でることは出来ませんが、それでも、かすかに香ってくる瞬間はあります。

私自身は、今まで何度か、幸せなことに満月の夜の満開の桜を経験し、本当の桜の香りを知りました。
満月の月光のもと、その光を受けて、ボワんっとぼやけて浮かぶ薄っすらピンクの花びらと、辺り一面に香りだす桜の香り。
幻想的で美しく、天国ってこういう場所で空間をいうのかな?と思わずにはいれませんでした。

そして、その香りはどの時も、境内に咲いている八重桜からでした。

やえ2(八重桜は、その花の重さでここまで枝が降りてきます)

桜餅の香りが1番近いように思います。
懐かしく、子供心を思い出させてくれるような柔らかい香り。
言葉に上手く表現できないのですが、シャボン玉みたいに、触ったら壊れてしまう儚さを持つ桜の香りは、同じように危うさがありながらも、人の記憶に残る忘れられない「印象的」な顔を見せてくれます。

桜だけでなく、どんなお花でも言えることですが、花に鼻をくっつけようにして嗅いでも、花の香りはしないのです。
ふと気付くと、遠くからフワッ風に運ばれる香り。
自分の周りを包み込んでくれるように優しく寄り添ってくれる香り。

身近なセラピストは、自然そのもの。
自然に全てを委ねることは、時に人生の1番のコンパスになってくれたり。
(ポカホンタスみたいに^^)

 

当山の桜は、天武天皇が夢で見た「夢見の桜」が有名ですが、4月中旬〜下旬に満開になるショッキングピンクの八重桜も圧巻です!

やえ
やえ夕陽

そして散り際の真っピンクの花びらの絨毯の華やかな雰囲気が、個人的には1番好きな空間。

桜本坊の境内の桜たちは、4月の吉野山の混雑時をあえて避けるように、ひっそりと静かに咲き、控えめで恥ずかしがりな子達が多いようです^^

絨毯階段

龍
*写真は当山ホームページの写真館より

これからも、ずっとずっと、この桜たちが元気でありますように。
これからも、ずっとずっと、この桜たちを愛で続けれますように^^

ずっとずっと、桜を想う心が、続いていきますように。

ずっと、ずっと。

by anju