GAGA | ブログ@櫻本坊

やまと ことのは つづり

笙の窟への登拝修行日

笙の窟への登拝修行日⛰️

修行者ひとりひとりに、護摩木と、そして護摩を厳修するにあたり必要な木材をワンセットずつ、リュックに入れ運んで頂きました。

全員が、心と足を同じ方向へと向き、進める。
いろんなものを手放しながら、同時に、背中に感じる祈りの重みに、さまざまなことを想い、集中する道中。

修行という場の結集力や一体感のなかに、いち生身の人間として生きてきた、あったかさや、厳しさや、優しさの数々に触れ合う、底力と包容力を感じる時間。

人間同士だからこそ、分かり合える、分かち合える、2度と戻ってこない、今日という時間✨

(お写真6〜8枚目は J.N様よりお借りしています)

太陽の力を借りる

夏の境内で、頻繁に見かける風景ー

登拝修行の前後は、山グッズがよく干されています。

楽しいことと、楽しむことの、違い

弥山⛰️✨
山頂で見上げる、満天の星空ー

山頂に鎮座されます、天河大辨財天社の奥宮。
山頂はあくまでも目印であり、通過点であることを教えられます。

辛い経験をすることだけが、修行じゃない。
しんどいことすることだけが、修行じゃない。

楽しいか、楽しくないか。楽か、楽じゃないか。
不自由ない生活だから幸せなのか。不自由があるから不幸なのか。
自分がどう幸せを感じるか、幸せに気づけるかは、結局自分しか決められないことだと、自然の姿に、まざまざと見せつけられます。

そもそも、楽しいことと、楽しむことは、違う。

挑戦も、困難も、荒波も、次々と用意されている人生。
楽しくない、と感じてしまうことが圧倒的に多くなる、大人になるということ。
言わないだけで、みんな何かしら抱えている。
お互い様、だから。

「できたら、やる」
そんな猶予は、人生にはありません。
「やれば、できる」

やらなければならない、から、やる。
よりも、やった方が絶対に良くなると思うから、やる。

楽しむ心と、人生へのユーモアを、持ち続けたいです✨

労りや励みをもらえる時間

夜の瞑想 於 大講堂🕯️

吉野山の夕刻〜夜の雰囲気は、厳しい山々の、違う側面が顔を出す時間。

包み込んでくれるような、肩を撫でてくれているような、労りや励みをもらえる時間。

心にあかりを灯す、時間🕯️

3つ、あればいい。

3つ、あればいい。

様々な機会で、様々なご縁で繋がる皆さまと、様々な形で、勉強会をご一緒させて頂く時間✨

修験道の世界観、そして自然と、役行者が伝え続けて下さる、教えの数々。

4月21日に天命を全うされた、故 フランシスコ教皇が所有していたとされる、3つの私物について、当時話題になりました。

聖書、カシオのチープ腕時計、そして黒の革靴。

祈ることを極められた存在は、素朴でシンプルで、とっても謙虚な姿勢であることをうかがえるエピソードに、役行者のお姿が重なりました。

経典(法)、杖、そして下駄。
あとは、自然から頂く。
「お互い様」の助け合いの精神を持つ、人の本来の優しさを、信じる。

教え(想い・知恵・菩提心)という原動力。
人生(時間)という体験。
そして、この2つを生きる(実践する)心と身体。

想う力・体験力・実践力…
これら3つの「力」は、エネルギーがいります。

そのエネルギーを養える場所・人・誰かとの約束・夢…大切なものを大切にしていきたいと、願う日々。

「この3つがあれば、それで充分だ」と言い切れるような人に少しでも近づくためには、今どう行動すべきか。

日々、ご本尊様(役行者)の前に座る度に、深く深く考えることです。

あたたかい雰囲気と笑顔で、ご清聴下さいました参加者皆さまに、心より感謝申し上げます✨