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やまと ことのは つづり

『お寺で癒(い)よう 〜五感を澄ます体験〜』8月実施日ご案内

『お寺で癒(い)よう 〜五感を澄ます体験〜』

大講堂を「リラックス&リチャージの空間」として今夏は開放しておりますが、ご参拝の皆様から嬉しいお言葉を頂いております。

私たちも、ご参拝の方が、来られた時より更に、笑顔でお帰りになられるのを拝見できることが、何よりの喜びです。
ありがとうございます。


今夏6月〜9月、「お寺で癒(い)よう〜五感を澄ます体験〜」と称しまして、心の浄化を促し、心の免疫力を上げるための体感の取り組みと、空間を開放しています。

8月のプログラム実施日:
1日(土) 2日(日) 7日(金) 8日(土) 15日(土) 18日(火) 20日(木) 26日(水)

午前11:00〜 止観瞑想
午後13:30〜 沐浴行
*止観瞑想と沐浴行は完全予約制

内拝(拝観)・写経写仏は、上記指定日に関係なく随時受付しております。

*少人数制で実施
*1名様より受付可能
*お子様も大歓迎です

『お寺で癒(い)よう〜五感を澄ます体験〜』詳細はHPにてご案内中です↓
https://sakuramotobou.or.jp/discipline/healing-in-temple.html

Anju
#お寺で癒よう
#五感を澄ます体験
#StayTempleLonger
以前は当たり前のように見ていた飛行機雲。
1日も早く、日本中・世界中を自由に移動できる日が訪れますよう

役行者と疫病退散

役行者と疫病退散

役行者の伝承の中で、天皇をはじめ教科書に名が載る人物達の病を、祈祷で治癒した、というものは多く伝えられています。

また奈良の1300年の歴史を持つ和漢方薬「陀羅尼助(ダラニスケ)」-

今では主に胃腸薬として有名ですが、もとは、疫病が流行した文武天皇の御代に、役行者が創薬し病人を治癒していたことから始まりました。
どの世も、疫病の歴史は繰り返されています。

そしてどの世でも、最終的に…祈ることしかできない、その想いも何一つ変わっていません。

ウイルスも、祈りも、どちらも目には見えないものですが、どちらの力も、時に光と闇を脅やかす脅威と化します。

いま、私たち1人1人を含む、全人類が捧げ続ける共通の「祈り」が、一刻も早くウイルスの早期収束・疫病退散へと結ばれるよう… 日々、櫻本坊の御本尊 役行者の御前でも、絶えることなく祈祷護摩を焚かせて頂いております。

Anju

*陀羅尼助が感染症に効果があるという内容ではございません。
創薬の歴史として紹介させて頂きました。

役行者が伝える人間力

役行者が伝える人間力

櫻本坊では、海外の方も修験道を学ばれ、共に修行しています。

海外の方と一緒に、祈り・神仏習合・修験道について説明・質疑応答・意見交換をするさい、必ず最後に行き着く話題があります。

「役行者って、結局何者だったんだろう?」
特に海外の方が「海外に伝わる修験道」をお話される時、多くの方が勘違いされていると感じること。

「修行をすることで超人的な力を得れる」、そしてそこを「目的」に、修験道を「手段」としてしまうと、本末転倒で、必ずズレが生じているということ。

本来の意味合いは、自然と共存し、自然に全てを委ね、祈るという集中を重ねる中で、「人間本来の感覚に戻る」ことです。

それは、並外れた超人的な力、ではなく、人間誰しも持っている「本質」「本能」的な、五感(感覚)の透明度だと思うのです。

スターウォーズ -最後のジェダイ-では、フォースは自身と万物を繋ぐバランスであり、自分が所有しているものではない、と語られます。

アナと雪の女王2では、人間は生きるために必要な力を、自然界のエレメント(地・風・火・水)から「借りている」と表現されます

修行を重ねる中で最も失ってはいけない姿勢、「謙虚さ」と「他者への思いやり」。
最も愚かな姿勢、感謝を忘れ「自分がすごい」と勘違いしてしまうことのエゴと傲慢さ。

修験道、ってなんですか?


「選ばれた少数のものではない。万人のための道なのだ。」−”星の巡礼“より

Anju

自分の後ろ姿は自分では見えない

自分の後ろ姿は自分では見えない

吉野山の夏のお祭り、奇祭とも称される「蛙飛び行事」が斎行される七夕の本日-
*今年は僧侶・関係者のみで厳修されます
大峯山上で神仏を侮辱した不信心な男が、カエルの姿に変えられ、心をあらためたのち、読経の力で人間に戻してもらった…

人間の心に巣食う弱さや傲慢さ、戒めと改心の道が問われるお祭りです。

修験道の聖地らしい、常日頃から自分の心の在り方を見直す…尊い意味がこめられています。

これは修験者にも全く同じことがいえます。

時に私たち人間は「自分1人の力で成し遂げた」と思い上がってしまう弱さを持ち合わせています。

周りで様々な形で支えて下さる人達の理解があり、何より…自然に護られ、神仏に導かれてこそ可能になる「修行」。

「今を生きる行いを修めていく」姿勢は、謙虚で、他者を想い、お互いを敬う心があってこそだと、修験道の聖地で日々感じること。

現代では、実際に蛙に変えられることはなくても…
着衣している装束の着方、足もと、法具の持ち方、法螺貝の音霊…日常での言葉のチョイスに人相、後ろ姿 歩き方にも…
その人の心の在り方・生き方が、全てに写し出されているのは確実ではないでしょうか。

Anju

全てに心が映し出される

全てにその人の心が映し出される

写経写仏は、15〜20分、墨をする段階から既に始まっています
その人の心構えは、墨を見れば、一目瞭然。気が散漫、嫌々してる、力任せ、形だけ、心がこもってない。
すると、墨も、曲がっていたり、グチャッと変形したり。

墨と硯に心をこめ「する」ことは、それもメディテーションであり、物への感謝の表れであり、集中です。

墨は、真っ直ぐとすられていく。

そして、自身で真心をこめた墨は、筆という祈りを運ぶ舟によって、神仏へと届けられます。
全てに、その人の心が映し出される。

「これでいっか」
そんな何気ない日常の、怠慢と傲慢さを取り除いていく。

祈ることは、集中。

日常にこそ、修行があります。

Anju

今夏6月〜9月、写経写仏は随時受付中です
*志納金: 2500円 (拝観料含)
*最終受付:14時
お子様も大歓迎です