長月に入り、蝉の声と鈴虫の声が、四季の移ろいのバトンを共に握っているよう。
予期せぬ災害 天災を前にすると「当たり前」が「当たり前」でないことを痛感します。
日本人は、自然・命を内側から見る精神性を持つ民族です。内側から見ている命こそが自然。
自然と共に生き、生かされている私たちの「この瞬間-今-」の命を、共に大切に生きていきましょう。
さて、そろそろ、大峰山も戸閉(9/23)が近づいて参りました。
自然の中を祈り歩く中で、また護摩の中で、更には神道の祝詞(六根清浄太祓)の中でも「六根清浄(ろっこんしょうじょう)(むつのねきよくきよらか)」という言葉が使われます。
「懺悔 懺悔 六根清浄」
「我身は六根清浄なるが故に、天地の神と同体なり」
「人は即ち天下の神物なり- 諸々の法は影と像の如し。身清く心潔ければ、かりそめにも穢るる事无し。説を取らば得べからず」
神仏、そして私たちの祖先が導いて下さる「道」や「教え」に共通しているのは、祈願の前にまず「今在る、共に在る命」に感謝する心、そして気づかぬうちに作ってしまう罪や氣枯れを、祓いにより清浄とし、生命力の再生を「むすぶ」ことの重要さです。
心身が清められ、神仏と繋がる柱が太くなればこそ、心に想う願い祈りは全て成就して、叶わないことはない。
極めて実践的な「六根清浄」を唱える意味と、浄く明るく正しく直く生きる意識を、日々のお勤めの中で築き上げ、確たる信念、そして信仰へと繋げていくことが、当山の一途な願いです。
Anju