GAGA | ブログ@櫻本坊

やまと ことのは つづり

同じ道、同じ景色、でも、違う道

奥駈修行に向けて、準備がすすめられる、ここ数週間ー

毎年、同じ道、同じ景色の中を歩くことについて、住職に聞いたことがあります。

その時返ってきた最初の返答は、
「道は変わらず同じであっても、心の在り方によって、毎年、すべてが違う。」

同じ道、同じ景色、でも、毎年違って見えるー

15歳から奥駈修行を修する住職にとっても、48年間、1度として同じ風景はなかったこと。

その時の、人生の様々な体験、想う人達 想われる人達の存在、祈願を託す人達の存在…そして同行(どうぎょう)する修行者達の存在ー

自然は、「窓」か「鏡」かー

修験抖擻(とそう)最高の錬行たる修行といわれる、奥駈に息吹く、深い深い意味と、厳しさの真っ只中にある「優しさ」を、この時期は特に考えさせられますー

*写真は、毎日同じ場所にあり、毎日見る身近な風景ー でも毎日一瞬一瞬、異なる風景ー

山上の役行者像ー
山上のサンタクロース

大峯山上 櫻本坊参籠所 坊守撮影

奈良シニア大学 in 東京にて

先月5月29日(月) 講義 @ 奈良シニア大学 in 東京にてー

以下文章ならびに写真は、「奈良シニア大学 in 東京」様の公式Facebookよりお借りしています。関係者皆さま、ありがとうございました✨↓

……
一般教養講座は
井光山五臺寺櫻本坊 第67世住職 巽 良仁先生をお迎えいたしまして、「修験の風~祈りと再生の道を歩む~」をテーマにお話を賜りました。
巽 良仁先生は、1960年にお生まれになられました。
1981年に櫻本坊 第67世住職を拝命、1982年に上智大学文学部哲学科をご卒業され、現在は、井光山五臺寺櫻本坊 第67世住職でおられます。

命ある者はいつか必ず死に、出会った者はいずれ別れるのがこの世の定めであるという「生者必滅 会者定離」に加え、「生・老・病・死」の四つの苦と「愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦」を加えた四苦八苦について、釈迦の話を交えながら、解説を頂きました。この苦しみをどう救うのかということに、生まれ変わるということの大事さがあると言います。

続いて、美しい吉野の桜や大峰山、厳しい修験の道の映像の後、熊野から吉野までを登拝する大峰奥駈修行について解説を頂きました。修行者達は「懴悔懴悔 六根清浄」と唱えながら山を登りますが、六根とは「眼・耳・鼻・舌・身・意」のことで、六根が功徳を得て清浄となることを願い、また、みな心を一つにして難所に臨むという意味も持ちます。厳しい捨身修行は生まれ変わりを疑似体験し再生を感じるというものだそうです。
この大峰山を修行の地とした役行者(えんのぎょうじゃ)によって、修験道は飛鳥時代に開かれました。吉野山へ下り、桜の木から自らご本尊を彫り祀ったことで、その後の修行者達が桜の献木を重ね吉野が桜の山となったとのお話にはびっくりでした。

修験道は、古神道、密教、道教、儒教などと山岳信仰とが結びついたものだそうです。キリスト教や哲学も交え、天照大神も大日如来も太陽の意味であり、エジプトのラーをはじめ他にも太陽神は多く存在することにふれ、これは魂が繋がっているということではないのか、とのお話に大きな世界観を感じました。

巽先生、本日は素敵な映像とお話を、誠にありがとうございました!

一杯のお茶の威力

ホッと一息つける、お抹茶が与えてくれる穏やかな時間。

お互いの目を見て、その季節 その空間 その時の一期一会を大切に、和やかな言葉をかわす。

他者を思いやるだけが、思いやりではありません。
まずは、自身を、思いやり愛し尊敬するところから。

真の「他者満足」を考える、貴重な一杯の、お茶の威力ー

*当寺院 大講堂にて

雨の中、心は晴れ

大峯山入峰修行から帰山の、行者講で賑わう日曜日ー

毎年、6月で最も帰山が多い日曜日ー

雨の中、お疲れ様でした。
おかえりなさいー

Not only words tell everything

Not only words tell everything ー

世界中で、争いや憎しみが減るどころか、増える世の中で、人と人が繋がり、分かり合えることに、希望はまだ沢山ある。

コロナ禍では、人と人の距離や対面が制限され、人間として失われそうになった「感覚」や「感性」がありました。

有難いことに、吉野は偉大な自然に恵まれ、人との距離はあっても、身近な自然の存在に、どれだけ心身を救われたでしょうか。

インバウンドが戻り、海外の方のご来山や体験修行受入も戻ってきました。
こちらも有難いことに、9割以上の方が、口コミで来てくださいます。

海外の方達の積極的な質問や意見は、大変興味深く、客観的な視点や観点から多くの気づきを頂きます。

そして何より、話す言語は違っても、お互い、その場で実際に時間を共にして、笑顔を見たり、雰囲気やアイコンタクトや波動から、感じ合える多くの情報交換。

同じ言語を話す日本人同士でも、伝わらないこと、通じないことがあります。

常に思うのは、言葉には限界があるということ。
でも、感じること、自然に、限界はありません。
時に、口や文章で話す言葉ではない「言語」が、「言語」になることの方が多い。

自然に入り、五感で感じることは、国籍関係なく、言葉なくても分かり合える、同じこと。

“Nature helps go back to who truly we are.”

心身の直感や感覚を鈍らせないために、自然というファミリーの存在の有難さと、人と人が繋がり結び合う喜び…その感覚を大事にしていきたいと、心から想います✨

*写真は、止観瞑想と写仏体験の流れ(英語でご案内vers.)ー