GAGA | ブログ@櫻本坊

やまと ことのは つづり

アンチェーン

当山が目指す、本当の意味での”ボーダーレス”とは…

<アメリカチームと一緒に 笙の窟にて 20・04・17>
<滝行体験 21・04・17>

4月20日~21日にわたって、グローバルに修験道を若い世代に発信する目的で、アメリカチームによる撮影&取材がありました。

ただ滝行や登拝や勤行や瞑想をするのでなく、「する」という手段の目的は何で、「なぜする」のかを共に考え教えあい学びあい、想いと意見を引き出しあい、空間をシェアする機会に恵まれました。

派手な手段ばかりが目立って、パフォーマンスのように取り上げられることが圧倒的に多い中で、あらためて目的を再確認し、心の部分をしっかりと伝え繋げて行く必要性を感じています。

近年、海外からのお問い合わせ・ご参拝・修行や取材申し込みが増えています。しかし、私たちの中で、特に「外国人だから」という理由での、区別や特別扱いの概念は初めから一切ありません。
国籍や言葉が違うだけで、同じ生身の人間であることに変わりはなく、そこに心・想いがあるかどうかは、日本人も外国人も関係ないと思うからです。

「外国人に分かるはずない」
「外国人だったら誰でもいい」悲しかや、そんな風に考える人も中にはいるそうですが、そもそも相手も私たちと同じ、心を持つ人間です。

「そんな風に海外では伝わっていて、そんな風に捉えられているんだ!」
「え!そんなとんでもない訳され方されてるの?」

と、確かに時たまビックリする内容で、伝わっていたりするのも事実です。

でもそこで真っ向から否定し拒絶するのでなく、ではどうやって伝えることが出来るかな、どの言葉をチョイスしたら相応しいのかな、どうやってお互いの意見を引き出し合えるかな、決してどちらが正しくて間違っているかの決定戦ではありません。

視点や観点の違いはありますが、その視野を知れることは本当に貴重で、多くの学びがあり、同時にこれからの課題というのも多くでてきます。

分かり合うこと以上に、分かち合うことの大切さを感じます。

本当の意味でのボーダーレスとはどういった事をいうのでしょうか。

国籍や言葉だけでなく、性別・肩書き・出身地・宗派・ビジュアル・組織の大小・人数の多少・文化財の有無・・・一般的なインターナショナル化 グローバル化だけではなく、全ての人の心を解き放っていきたい様々なボーダー。

何より、心の向けどころが、もっとも重要なボーダーになっているように思います。

神仏へと繋がる光の柱は、我々の想いを結ぶ尊い柱です。向けるべき心の方向を誠にする、それが様々なボーダーを取り払える手段ではないでしょうか。

今こそ、心の向けどころを再確認する時だと思います。
1月に抱負としてあげた「unchain 解き放つ」が、まさに今起こっている真っ最中です。

Anju

タタズマイ

境内の八重桜が満開を迎えました。
お堂周りを歩いていた時に、ふわっと鼻をくすぐる八重桜の香り。
満月が近づく中、より一層香りは強くなってきています。
境内にある銀木犀にも言えることなのですが、花びらに鼻をくっつけても、香りはあまり感じず、ふとした時に遠くからフワッと香ってくる花の香りに、自然の優しさを感じます。
忘れた頃に「あ、ずっと寄り添ってくれてたんだな」と気付く、花の香り。
こういった香りも、私達に寄り添い、祈りに寄り添っている。
私達も、こんな風に人に寄り添える存在でありたいです。
4月7日から始まりました「天武天皇ご念持仏 釈迦如来坐像」特別ご開帳は、昨日17日に無事結願を迎えることができました。
多くの方のご参拝と新たなご縁に感謝申し上げると共に、ご開帳期間中に出仕して下さった、縁の下の力持ちの皆さまへ深く感謝申し上げます。

また4月8日は、お釈迦様の誕生日をお祝いする花まつりが執り行われ、ただたんに「お釈迦様の誕生日を祝う」ことだけでなく、私たち1人1人全ての命を祝福する日、とあらたに意識を強く持って頂けたのではないでしょうか。

すべての命がかけがえなく、すべての人生が尊い。
この命を命がけで生きている日々全てこそ、祈りそのものであり、自分へ人への愛であり、そして感謝と恩返しであるのだと思います。

また4月8日は「SAKURA」についてのプロジェクトとご縁があり、天武天皇 夢見の桜・花まつり法要・そして吉野山の桜を撮影&取材のため、フランスからクルーを迎えることができました。

「祈り」「命」「人生」の観点から見る桜と、桜がもつ浄化力と純粋性。

何でも、目に見える-visual-が目立つ世界ですが、心を震わせる目に見えない-invisible-なインナービューティーの真髄として、吉野山の桜にスポットライトがあたりました。

3か月近くに及ぶ、メールと国際電話による事前打ち合わせの中で、私たち自身も、あらためて「桜」への想い、また日本人のスピリットのルーツに気づかされ、大変貴重な時間をシェアできました。

365日中の360日を準備期間とし、咲くために育む命の時間も美しく、蕾、桜花爛漫、そしてヒラリと散っていくその姿に、人は人生を重ねます。

桜は人生のシンボルであり、生きていく中でREMINDERとしてその姿を見せてくれていること。

人生は想像しているよりもずっと短く、そして息を飲むほど美しくて、命あるからこそ、この命を守りしっかり生きていく使命が私たちにはあります。

その命の時間を、4月8日という特別な日に、SAKURAを通して、国境や言葉や宗教を超えて共有できたこと、まさに「星の王子さま」の言葉達を1つ1つ辿るような想いをシェアできたこと、大変幸せに感じました。

桜だけでなく、植物も自然も、当たり前のように季節を循環し命を育んでいるようで、そこに意識や想いを向けないと、共に寄り添い合わないと、枯れてしまうものであると強く思います。

「天武天皇 夢見の桜」がまさにその象徴ではないでしょうか。
心の向けどころ
意識の向けどころ
結局全ては心があってこそ
想いがあってこそ
当たり前に見えること
当たり前に思っていることに
辿り着くまでの道のりを忘れない
この道を歩み出した時の
初めの第一歩を忘れない
道を歩む心持ち
その心の軸さえ忘れなければ

 

祈りに光が満ちていく

光に祈りが

満ちていく

Anju

人の間で在る人間

当山に携わる私たちが、大切にし、目標とする生き方そのもの、となっている言葉があります。

「他者満足」を生きる

この言葉は、幼い子が、海岸で見つけた綺麗な貝殻を、宝箱に入れてベッドの下に隠すように、そんな風に、ずっと心の中にしまっていました。

トキがたって、鍵をかけていた宝箱を開け、あの頃の思い出の貝殻を、そっと手にとってみる。
そっと目を閉じて、あの頃の波のメロディに耳を澄ましてみる。

遠い日のあの頃は、まだ何を意味するか分からなかった事が、時間と経験という熟成期間を生きる中で、海岸で拾った時の原点に想いを馳せられる。

Circleoflife

「他者満足」という言葉を聞いて、真っ先にどう捉えますか?

「いやいや、人よりまずは自分でしょ」
「他人のために自己犠牲なんてしたくない」
「自己満足の反対語?」
「人のために、こんなに身を削りました!」
「あなたのために、ここまでしました!」
「私なんかどうでもいい、あの人さえ幸せなら、それでいい」

状況によって、人によって、捉え方、考え方、実践の方法、形はそれぞれあると思いますが、私が教えられ、そして目指す「他者満足」な生き方は、決して「自分を犠牲にして他人に尽くす」ような意味合いではありません。

そういう意味で捉えられやすいのが、現実だと思いますが、それは違います。

何も自分を犠牲にして他人に尽くす、ことでは決してなく、まずは自分を愛することから全てが始まる、ということです。

温泉のように、源から溢れる止め処目ないお湯が、そこに浸かる人を幸せにしてくれるように、自らの中から溢れる本物の愛や幸福感が、周りの人をも幸せにしていく。そしてその人たちの幸せを感じれることが、更に自分の幸せへ繋がっていく。

他者満足であることは、まず自分のありのままの姿や状況を受け入れる努力をし、いかなるところからも希望を見出し、まずは自分を信じ愛し満たすこと。

自分を信じ愛し、まずは自分を満たしてあげなければ、人を信じ愛し、人の心を満たし笑顔には出来ないからです。

温泉、湧いてないと、そこに人は浸かれません!
太陽、輝いてないと、大地を照らせません!
サンタクロースの袋が空っぽだったら、人が喜ぶプレゼントは何も出てきません。

マザーテレサが「愛の反対は無関心」であり「世界平和のために出来ることは、まず家族を愛すること」と言ったように。

まずは自分という存在と人生に関心を持ち、そして家族を愛す。
家族の幸せが、それが自分の幸せで、その先に、自分や家族の幸せだけでなく、人の幸せを願い、人の幸せに繋がっていくから。
人の幸せが、それが自分の幸せと感じれる日々が必ず来るから。

綺麗事で済ませれない現実も多くある中で、生きるより死ぬ方が楽だと考えてしまうほど苦しい場面も時折ある中で、自分の置かれた状況を受け入れ、それでも自分の人生を信じ、夢を持ち未来へ前向きで、自分と共に生きる存在…人を愛し思いやる努力を怠らない。

「ありがとう」と誰よりも真っ先に言葉にして伝えていける。

だって自分を愛することは、その生命と、自分を生かしてくれている全ての存在とご縁に感謝することだと思うから。

だからこそ実現していける「他者満足を生きる」だと思うのです。
与えられた自分の人生を真っ直ぐ生きる、こその言葉だと思うのです。

「あなたと話してると、見てると、なんかこっちまで笑顔になれる!元気もらえる!ありがとう」
「え?そう?そう言ってもらえると嬉しい!私もだよ!ありがとう」
人と人の間で生きている時間が、こんな何気ない一瞬一瞬で満ちていって欲しいな。

世界をその信念と心で動かし、多くの人の心にのこる偉人達の1人、ネルソン・マンデラの言葉で、今日のブログを締めくくります。

“One of the challenges of our time, without being pietistic or moralistic, is to re-instil in the consciousness of our people that sense of human solidarity, of being in the world for one another and because of and through others. ”
(Steve Biko lecture 10/sept/2004)

-今の時代に取り組まなければならないことの1つは人間の連帯感、つまり
「お互いのために私たちは世界に存在する」
「他者のおかげで私たちは存在する」
そして
「他者を通じて私たちは世界に存在する」
という認識を国民の間に再び浸透させることだ-

自己と他者
他者と自己

私とあなた
あなたと…

わたし

Anju

未ち満ちて道

bluebird2017年の幕が開けました!
おめでとうございます!

今年の抱負は、何かありますか?

当山の抱負は「straight・まっすぐな柱」「unchain・解き放つ」「passion・波をたてていく」です。

去年の春開設されたこちらのブログ。
秋頃からは特に、多くの方にお声をかけて頂きました。
同じ志を表明して下さる方、前向きな温かいお気持ちもあれば、批判や否定や拒絶の視線やお言葉もありました。

当山の軸にある想いをどう伝えていこうか、変えていきたいと強く願う事を変えていけるんだろうか、意味のないことをしているのではないか、想いを文章にすることで本当に伝わっていくのだろうか、何も変わらないかもしれない。
でも、やってみないと、言葉に出していかないと、何も変わっていかないことがある。

個人のブログではなく、櫻本坊というバックグラウンドがあるなら尚更、誤解をうんだり迷惑をかけてはいけない、と何処まで文章で表現していいのか、その線引きというのがまだ定まっていませんでした。

が、新しい年が開き、恐れずにどんどん進んでいこうと決心できました。
brand new morning of the year心をぐるぐると巻きつけていたチェーン、そのチェーンは少しずつですが緩められてきました。
今までは、その緩んだ隙間に、外から光の筋が入り込む受け身でいましたが、今年からは、内側から外に光を放つ、その発信の本格化が始まったと思います。

ちょっと日常より濃い場所にいる中で、長く見てきた表と裏・光と闇・外と内。
素晴らしいところ、良いところも多く実感する中で、裏の裏の様々な正反対のことも見て聞いて経験してきました。
でも全てに+-があり、陰陽があるように、どんなことも繋がっていて、球体のように色んな側面がある。
一部を見て全体を語らないことを教えられました。

変化の実現を更に可能にするのに、遠慮していても意味がない。
なので、こちらのブログも、もう少し具体的に踏み入った事を書いていこう、今年はもっとハッキリと言葉を選んでいこう、と計画しています。そして何かしら、何らかの形で、この想いが繋がっていくことを信じています。

あえて波をたてて変化を促していく、ブログが炎上してもbring it on!です。
そこが「passion・波をたてていく」の抱負にちょうど当てはまります。
openroad一番伝えていきたいこと。

どこに心があるのか。
そこに心はあるのか。

なぜこの道をいくのか。
この道を歩み始めた時の志や想いは何だったのか。

原点・初心を、今この時だからこそ、今一度振り返って再確認しなきゃ、と感じずにはいられません。

どの世界でも言えることかと思いますが。
どんなに形と型があり、衣装を着、何らかの資格や肩書きがあったとしても、そこに心・真心がないと、何の意味も持たないから。ただのかっこつけのコスプレイヤーで終わり、周りもそういった目でしか見なくなるから。

人からこう見られたい。思われたい。特別なことをしているんだ。だから偉いんだ。
ある意味で、この考え方というか、周りの見方も、こういった思考回路の習慣が出来上がってしまっているように感じ、そんな変なプライドは、捨てるべきやと、私は言いたい。
そういった習慣が当たり前になってしまっていることに、危機感をもっと持ってもらいたい。

性別に国籍に職業に肩書き、組織の大きさに人数の多さ、お堂の大きさに仏像の大きさ、「文化財」という肩書きの有無・・・
祈りの道にそんなボーダーは本来関係ないはずだから、そういったことを取り払い、何が一番大切なのかを再確認していきたい。

ビジュアルで目に見えることだけを見るのではなく、見えてないようで見ていること、見ているようで見えてないこと、星の王子様の心の目を磨いていきたい。
そこが「unchain・解き放つ」の抱負に当てはまるところ。
天武さんしめ縄祈ることって、なんですか?
人の評価を得るために、この道を歩んでいるんですか?

「形の姿勢」ができても「心の姿勢」がなっていないと、あの有名な劇団四季の稽古場の言葉通りになってしまうと思うのです。

慣れ・だれ・崩れ・去れ
sun神仏と人間を結ぶ柱は、心しかない。
その柱を高くまっすぐ太くしていくのも、心でしかない。

手塚治虫のアニメ「火の鳥」が、空に向かって真っすぐ光の柱をたて飛ぶように、その真心・祈り・想い・・・が運ばれ、そして通じるためにも、「運心」「心通」の意味を、今年は特に発信していきたいです。
そこが「straight・まっすぐな柱」の抱負に当てはまるところ。

この3つの柱で、今年も前進していくのみ。
皆さん一人一人の火の鳥の柱が、天高く伸びる1年となりますよう、お祈りいたします。

Anju

はじまりは再び〜天武天皇〜

吉野山の紅葉は、今年は特にグラデーションが美しく、雨や霧の中でこその幻想的な風景が、一層心に残る秋になりました。

紅葉吉野駅

11月12日に始まりました、天武天皇御神像 御開帳は、先日の20日に無事結願を迎えることが出来ました。

修験道場ということで、当然ですが役行者さんの存在、神仏の全てを包み込む包容力と厳しさ、計り知れない自然の偉大さというものを、今だからこそ、ヒシヒシと感じることが増えました。

「なぜ修験で、天武天皇なのですか?」
とお聞きする事も同時に増えました。

当山の「はじまり」は、天武天皇(当時は大海人皇子)が夢の中でご覧になった、真冬の雪景色の中の満開の桜から、全てが始まりました。
(詳しくは当山HPの縁起をご参照下さい)

その一夜の夢、その一本の桜から、天武天皇 役行者 角乗和尚(当山第一世)の運命的な出会いへと繋がり、1350年もの時を経て、今に至っています。

天武天皇祭そしてご開帳の意味は、天武天皇へ、 当山櫻本坊を建立して下さった、道を開いて下さったことへの感謝をたたえること。そして、私達人間を導き、この道を繋げ守り続けて下さっている神仏へ感謝を申し上げること。

天武天皇ご神徳法要は、玉串を奉奠しながら、経典を唱えるという、神仏習合の法要神事両方で(共に)執り行われます。

榊

また、天武天皇の元のご神像は、かつてお祀りされていたそうですが、明治廃仏毀釈のさいに行方不明となりました。
岡倉天心デッサンのもと(東博所蔵)、東大寺大仏師(故)小野寺久幸先生と共に、復興させて頂いたのが現在のご神像です。

そのお姿は、神仏習合のシンボルともいえるお姿をされており、右手に笏(しゃく)左手に数珠を持たれ、神主の正装の上に、僧侶のお袈裟をかけておられます。

天武天皇は、「天皇」だけではなく、神道仏教にも精通しておられ、その視点で日本の国づくりをされました。
政治家であり、宗教家であり、また万葉の時代に生きたロマン溢れる歌人でもあったのではないかな、と今回あらためて感銘を受けました。

当山は、この方から始まった場所であり、この方がいなかったら、何も始まっていなかった道であったのだ、と。

時が流れると、どうしても風化していってしまうことがあります。
その時その瞬間は、その人や出来事や想いが主でも、時が経つと忘れていってしまう、忘れられていくことがあります。

その風化する中で、繋がれてきた、繋がれていく志や想いが存在する。
同じ方向を向いて一緒にススム人達と心が存在する。

『何をもって、そう思ったのか、しようとしたのか』

全てには必ず「はじまり」があって、そのはじめ、何を思ってはじまったのか。はじめようと思ったのか。
手段や形が様々な中、きっと、結局はそれは全て「人のため」「世のため」に繋がっているのだと思うのです。

天武天皇が夢を見たことから始まった道があるように、私達も夢をみ、夢を持ち、夢に向かって進んでいく。
意味合いは違っても、最初に持つのは目標という「夢」であり、叶えたいと願う「想い」です。

私達は、目の前のことに必死で、生きることに必死で、そのはじまりを忘れがちになって、なぜこの道を行くのかを忘れがちです。

想い 気持ち 心 がどこにあるのか。

天武天皇の想い、役行者の祈り、この道を行く全ての生きる道。

歩み方は違っても、ススム方向は同じで、人を想い、世を想うその心は繋がっている。

時代によって繋げ方、在り方が変わる事があっても、その最もな根本の「原点」「初心」を忘れなければ、必ず「再生」「再出発」をしていける。

今年の10月1日、聖天祭により、当山は原点に戻りました。
そして11月13日、天武天皇御神徳法要により、再出発という形で…当山の「はじまり」の幕が新たにあがったように感じます。

人と人を結ぶのは、心であり命であるように、神仏と人を結ぶのも、それもまた真心であり魂である、と。

その心と命、真心と魂を繋いでいく意味というものが、全ての「はじまり」の中に満ちているのだと、今年の天武天皇ご神像のお姿を見て、教えられたようにも感じます。

そんな当山の今秋の再生と再出発が、1年後、3年後、5年後、10年後…この道を共に行く一人でも多くの方の心にも伝わり、繋がっていきますように。

Anju

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