GAGA | ブログ@櫻本坊

やまと ことのは つづり

しめしてくれる存在たち

「今日の大峰山🏔️」(09.06〜07)


道中の暑さはありながらも、山上の朝夜は肌寒いそうです。
体温の調整等、何卒皆さまもお気をつけてご登拝ください✨

月明かりが照らしてくれる、山頂の姿も美しいです。

雨上がりの快晴の山上ヶ岳(大峰山 山頂)から、明石海峡大橋が見えるという、奇跡のような風景が待っていました✨

都合よく、晴れの日だけが「修行日」で「良い日」ではありません。
雨の日があるからこそ、空が透き通り、道(地)がかたまり、山水が登山者を潤わしてくれる。

どのような日も、学びがあり、発見があり、有難い。

心に思うことが、目の前の現実に映し出されるのであれば、自然はまさに鏡として、わたしたちの人生そのものを見させてくれています。

門出に立ち会えること

先週末は、得度受戒会が執り行われていました。

心新たに生まれ変わり、神仏へ、十の約束(十善戒)を守る誓いをたてる、大変重く荘厳な儀式です。

得度式で、自分が何を神仏に誓っているのか…分からなければ誓う意味がありません。

事前に「得度」とは、「十善戒」とは、「人として生きるうえで大事にすべきこと」とは…座学を通して、全員で学び合う時間を大切にしています。

得度受戒は、ゴールではなく、あらたな始まりにすぎず、その後の生き方にしっかり反映していく努力と意識が、益々問われていく「門」に立つということ。
菩薩行の意志と意義を、益々深めていく決意と覚悟が定まったということ。

その「門出」に立ち会えることは、お寺としてもとても感慨深い瞬間です。

昨日で今日、ではなく、じっくりとお時間をかけて、お寺と共に並走して下さり、様々な形でご縁を深める中で、迎える日。「同行」のご縁のあたたかさを、実感する日。

今回も、無事受戒されました皆さまの、雲ひとつない青空のような素晴らしい笑顔に、幸せな気持ちを頂きました✨おめでとうございます✨

満たされることの定義

とある修行日の精進料理✨

心身の浄化を願い、動物性の食材は取り入れず、手作りで整えております。安心安全野菜をはじめ 無添加の調味料を使用しております。

「精進料理は、地味だし、お腹いっぱいにならないし、美味しくない」

多くの方が持たれている固定概念が、少しでもやわらぎ、「作ること」「食べること」「食」との向き合い方に新しい発見があって欲しい。

「お腹いっぱい」は、食べている物や量よりも、心がどれだけ満たされているか、心がどれだけこもっているか、だといつも実感します。

感謝の気持ち、すべてはそこから始まり、そこに尽きる✨

奥駈修行 道中の様子をご紹介

令和7年度 奥駈修行 道中の様子をご紹介
一歩、一歩。
役行者が歩いた道を、共に。

ひとりひとりの想いが、同行する皆と重なっていく。
法螺貝にのる、祈りの声の、美しさ。

自然の大きさ。人間の小ささ。

人間の一生が、いかに短いのかを考えさせられます。
大切にすべきことを、人を、今を、大切に。
見つめる先に。
想いを向ける先に。

常に危険と隣り合わせな道中。
次の一歩に迷った時、そこに必ずある、手や足をかけれる窪や石、木の根っこたちの存在。

自然が、導いてくれる。
同じ道を歩かれた、数え切れない先代たちが導いてくれる。

これ以上ない、ありがたさ。

修行者全員で行う、各靡での勤行。

その目的が、自己顕示でないことは、明らかな行。
祈りは、自己のためだけにあるものではありません。

一緒に想い合い、一緒に祈り合い、一緒に生きている、私たち。

他者の喜びを倍に、悲しみや苦しみを半分に。

顔の見えないところで、誰かが誰かのために、全員のために、祈りが捧げ続けられていることの、純粋さ。

修行者を包み込む、大自然の包容力。

手入れの行き届いた、庭園の花々や木々も大変美しいです。手入れされる方々の御心や配慮が伝わり、心洗われます。

同時に、自然の中の花々や木々の姿…例えばワイルドな大小のツツジや、背の高さが不揃いな樹木たち。

ありのまま。そのまんま。
その美しさも、庭園に劣らず、素敵です。

自然は、偽ろうとしない。
私たちも、自然を変えようとしない。

見方を変えると見えてくる、いろんな美しさ。
そこを「美しい」と思える心。

多様性とは何かを、真摯に教えてくれる、大自然という大先生に抱かれる幸せ。

“Everything you imagine is real.”
もちろん、行動あってこそ。

自分の足と目と肌…六根で、心で、その時そこで、実感実践すること。
極めてアナログな世界、それが修験道。
目標を、理想にしない。
期待はしないが、希望は持つ。
理解はするが、賛成はしない。

今年よく目に入る言葉です。

パッと言葉だけ見ると、冷たく自分勝手なように見えますが、順番を変えると、「言葉」の捉え方・見方の多様さと、「言いたい事」と「言い方」を分けて考えることの重要性に気付かされます。

理想を、目標としない。
希望は持つが、期待はしない。
賛成はしないが、理解はする。

言葉は、真実の全てではないこと、「伝えたいこと」の全部ではないことを、今一度気付かされます。

「言わない勇気」も必要な場面に出会う時、何を観察し、どの感覚を信じるか。また、自身も、どのようでありたいか。

人の後ろ姿、背中が答えのひとつであると、毎回感じることです。

背は、目は、口ほどに物を言う。
見る人は、ちゃんと見てくださっています。
神仏を含め✨

そんな勇気と自信を与えてくれる、山という学校、処方箋薬局、そしてスイートホーム🏔️
最初から、
完璧じゃなくていい
完璧を求めなくていい
完璧を目指さなくていい

そう安心させてくれる、自然の力✨

道中の、束の間の休憩時間や、先達の打合時間、各所・各行の説明時間。

同行(どうぎょう)する仲間との出会いも、当たり前ではない、尊いご縁。
共にするどの時間も、当たり前ではない、尊い時間。
生き生かされている、当たり前と思ってはいけない、実感。

最終日、山からお寺に戻ってきた折に焚かれる、満行の祈祷護摩。
道中の安全を守って頂いた神仏へ、奥駈を支えて下さった数多くの方々へ、絶えぬ感謝が捧げられる護摩。
奥駈に託された祈願のすべてが、成就しますように。
祈りの真髄が宿る、護摩。

今年も、奥駈道中の様子をご紹介できること、笑顔のお写真をお届けできますこと、決して当たり前と思っておりません。

大変貴重な修行の様子を、こういった形で、里の私たちに届けて下さった先達 ならびにフォトグラファー Banri様に、深く感謝申し上げます✨ありがとうございます✨

「山伏や行者に限らず、できるだけ多くの方が、奥駈に参加できるように。誰でも、奥駈を経験できるように。」

先代住職 第65世 良乗(りょうじょう)の言葉・精神・モットーを、約束を、その背中を、いつも思い出し、引き継いで参りました。

人生のすべてを、吉野大峰の発展のために捧げた先代の住職たち、先人たちの存在。
その並々ならぬ覚悟と情熱は、いまの時代を生きる私たちの、かけがえのない励みとなり勇気となっています。

これからも、その精神性をさらに磨き、情熱を燃やし続け、皆さまと共に歩んで参りたいと、心より願っております。

今年も、素晴らしい笑顔と眼差しという、後世に伝えていきたい宝ものを、ありがとうございました✨

Photo by Banri
(上から3枚目のみ Photo by N.H)

簡単で楽なこと

神仏へ捧げる「お供え」である、護摩法要用の「乳木(にゅうぼく)」の準備も、日々の大切な作務。

機械化・大量生産に頼れるところは、もちろん頼らせていただく。
でもあえて、手作業でする…手作業でしかできない場面も、日々たくさんあります。

なにひとつとして、簡単で楽な作務はありませんが、楽しいと思えること、一緒にできる方達とのご縁、「考える」時間、どのような日々も、ありがたいかぎりです。