GAGA | ブログ@櫻本坊

やまと ことのは つづり

自分の後ろ姿は自分では見えない

自分の後ろ姿は自分では見えない

吉野山の夏のお祭り、奇祭とも称される「蛙飛び行事」が斎行される七夕の本日-
*今年は僧侶・関係者のみで厳修されます
大峯山上で神仏を侮辱した不信心な男が、カエルの姿に変えられ、心をあらためたのち、読経の力で人間に戻してもらった…

人間の心に巣食う弱さや傲慢さ、戒めと改心の道が問われるお祭りです。

修験道の聖地らしい、常日頃から自分の心の在り方を見直す…尊い意味がこめられています。

これは修験者にも全く同じことがいえます。

時に私たち人間は「自分1人の力で成し遂げた」と思い上がってしまう弱さを持ち合わせています。

周りで様々な形で支えて下さる人達の理解があり、何より…自然に護られ、神仏に導かれてこそ可能になる「修行」。

「今を生きる行いを修めていく」姿勢は、謙虚で、他者を想い、お互いを敬う心があってこそだと、修験道の聖地で日々感じること。

現代では、実際に蛙に変えられることはなくても…
着衣している装束の着方、足もと、法具の持ち方、法螺貝の音霊…日常での言葉のチョイスに人相、後ろ姿 歩き方にも…
その人の心の在り方・生き方が、全てに写し出されているのは確実ではないでしょうか。

Anju

全てに心が映し出される

全てにその人の心が映し出される

写経写仏は、15〜20分、墨をする段階から既に始まっています
その人の心構えは、墨を見れば、一目瞭然。気が散漫、嫌々してる、力任せ、形だけ、心がこもってない。
すると、墨も、曲がっていたり、グチャッと変形したり。

墨と硯に心をこめ「する」ことは、それもメディテーションであり、物への感謝の表れであり、集中です。

墨は、真っ直ぐとすられていく。

そして、自身で真心をこめた墨は、筆という祈りを運ぶ舟によって、神仏へと届けられます。
全てに、その人の心が映し出される。

「これでいっか」
そんな何気ない日常の、怠慢と傲慢さを取り除いていく。

祈ることは、集中。

日常にこそ、修行があります。

Anju

今夏6月〜9月、写経写仏は随時受付中です
*志納金: 2500円 (拝観料含)
*最終受付:14時
お子様も大歓迎です

まつること

まつること

昨日は夏越の大祓
本日より、2020年も下半期に突入しました。

今年は何もかもが異例の年で、全国の多くの社寺の行事の縮小 中止 延期が相次いでいますが、それは修験道の世界でも同じです。

こんな時だからこそ…?
でもよく考えると、どんな時であっても、変わらず、神事祭礼法要護摩…神仏へ祈りを捧げる儀式は、決して絶えることなく斎行されています。
神仏を祀る(祭る)ことを、人間の都合でやめることはできません

何事も努力を決して怠らないことがベースにあり、決して「当たり前」ではない日々の祈り。
そして、表に出ないことがほとんどの、祈りの現場。

それぞれの中にある「光」を磨く祈りの現場を、引き続き護持していく所存です。

Anju

役行者の根っこにある信念

役行者の根っこにある信念

海外の方で、役行者を研究する方との繋がりも多く持つ当山ですが、その中でも「薬草」「植物療法」との関わりが話題にでることが多いです。
<清めの儀式で使用される植物…と役行者>

自然の中で行をする役行者にとって、自然・植物が提供してくれる治癒力は欠かせないものでした。

まさに山中の薬剤師でもあった役行者。
役行者に仕え同行していた前鬼・後鬼も、同じく薬草のエクスパートでした。

その共存する感謝を常に忘れず、どんな小さな植物にも虫たちにも、生命を重んじる姿勢を忘れなかった役行者。
当山の境内には、浄化のための薬草がたくさん茂っています。
<境内を常に「浄化」してくれている薬草たち>

西洋の教会で栽培されているハーブも多いですが、古来からある奈良大和・万葉の薬草も大切にしています。
<大和当帰や大和橘は奈良の宝>

これらは、神仏へのお供えとして必ず献上し、清めの儀式でも使用されています。
また、普段から薬草茶・薬湯・奥駈修行や得度式での修行食や食事作法のさいに、心身を清め、修行に向けて心身を整えるために使用しています。
<ラベンダーはオイルに漬け、肌や筋肉の沈静にもグッド>

それが一杯の何気ないお茶であっても、込められている自然の治癒力は計り知れません。
夏にオススメのハーバルウォーター、ナスタチウムの葉をコースターとして

たかが植物、されど植物-

櫻本坊では、役行者が大切にしていた想い・信念、つまり原点にある根っこの部分を、何よりも大切にしています

Anju

心構えはごまかせない 

心構えはごまかせない

法螺貝、と書き「ほらがい」-
最初の漢字には「法(ほう)」がつきます。

音霊よる説法の「法」、そして儀式作法の「法」、つまりそこにも「道」があります。

法螺貝だけでなく、祈りの儀式で使用される法具、全てには尊い意味があり「重み」があります。

法螺貝の音・法具の持ち方 取り扱い方は、その人の心構え・意識・人柄・考えを全て反映しています。

一切ごまかせない、その人の心の中の世界。

何もかも、私たちは神仏のために「させて頂く」立場であることの謙虚さを、忘れない。

神仏の御心を「のせる」、祈りが「やどる」法具を持つ「重み」、一つ一つの 神事法要護摩の「重み」を、今一度ズシリと観じる日々です。

Anju
*写真は月例法螺貝勉強会のワンシーンです