GAGA | ブログ@櫻本坊

やまと ことのは つづり

当たり前を忘れない

We have primary school children every May for sharing prayers and learnings through homa service and silent walking.
It’s not us adults who teach children, it’s almost always kids who remind us uncountable learnings:D

毎年5月に、奈良学園小学2年生の生徒さん達の宿泊学習があり、今年で10年目を迎える事が出来ました。
護摩木にお願い事を書き、護摩に参加し、活発な質疑応答、そしてサイレントウォークを、僧侶や山伏の方達と体験します。

お慕いする先生とのご縁から始まったこちらの学習会、「お互いを敬う気持ち」「ありがとうの気持ち」「皆一緒に生きている」という事を子供達に伝えていきたい、という想いから始まりました。

実際は、子供達の純粋な眼差しと笑顔に、教えてもらうことの多さを実感し続けています。

Anju

六観音華絵巻 放映

昨夜放映されました「奈良フライデー9」にて、”なら六観音 華絵巻”が紹介されました。
時代に求められた、それぞれの観音様のお役目が、それぞれの社寺にあります。
神社・仏閣・宗派を越え、奈良の魅力を更に知って頂けるきっかけとなれば幸いです

Anju

アンチェーン

当山が目指す、本当の意味での”ボーダーレス”とは…

<アメリカチームと一緒に 笙の窟にて 20・04・17>
<滝行体験 21・04・17>

4月20日~21日にわたって、グローバルに修験道を若い世代に発信する目的で、アメリカチームによる撮影&取材がありました。

ただ滝行や登拝や勤行や瞑想をするのでなく、「する」という手段の目的は何で、「なぜする」のかを共に考え教えあい学びあい、想いと意見を引き出しあい、空間をシェアする機会に恵まれました。

派手な手段ばかりが目立って、パフォーマンスのように取り上げられることが圧倒的に多い中で、あらためて目的を再確認し、心の部分をしっかりと伝え繋げて行く必要性を感じています。

近年、海外からのお問い合わせ・ご参拝・修行や取材申し込みが増えています。しかし、私たちの中で、特に「外国人だから」という理由での、区別や特別扱いの概念は初めから一切ありません。
国籍や言葉が違うだけで、同じ生身の人間であることに変わりはなく、そこに心・想いがあるかどうかは、日本人も外国人も関係ないと思うからです。

「外国人に分かるはずない」
「外国人だったら誰でもいい」悲しかや、そんな風に考える人も中にはいるそうですが、そもそも相手も私たちと同じ、心を持つ人間です。

「そんな風に海外では伝わっていて、そんな風に捉えられているんだ!」
「え!そんなとんでもない訳され方されてるの?」

と、確かに時たまビックリする内容で、伝わっていたりするのも事実です。

でもそこで真っ向から否定し拒絶するのでなく、ではどうやって伝えることが出来るかな、どの言葉をチョイスしたら相応しいのかな、どうやってお互いの意見を引き出し合えるかな、決してどちらが正しくて間違っているかの決定戦ではありません。

視点や観点の違いはありますが、その視野を知れることは本当に貴重で、多くの学びがあり、同時にこれからの課題というのも多くでてきます。

分かり合うこと以上に、分かち合うことの大切さを感じます。

本当の意味でのボーダーレスとはどういった事をいうのでしょうか。

国籍や言葉だけでなく、性別・肩書き・出身地・宗派・ビジュアル・組織の大小・人数の多少・文化財の有無・・・一般的なインターナショナル化 グローバル化だけではなく、全ての人の心を解き放っていきたい様々なボーダー。

何より、心の向けどころが、もっとも重要なボーダーになっているように思います。

神仏へと繋がる光の柱は、我々の想いを結ぶ尊い柱です。向けるべき心の方向を誠にする、それが様々なボーダーを取り払える手段ではないでしょうか。

今こそ、心の向けどころを再確認する時だと思います。
1月に抱負としてあげた「unchain 解き放つ」が、まさに今起こっている真っ最中です。

Anju

自由の女神達とこだま達

We had American production team with us for introducing Shugendo to the young generations worldwide.

What Shugendo means to you?
What does it bring to your life?
What do you want to gain from it?
What does it mean to be “trainer”?
Who is actually En no gyoja?
What is Shugendo in the end?

Yup…
“”what is Shugendo?””

昨日より、アメリカからチームを迎えての撮影&取材が行われていました。
修験道を若い世代の人達へ向けて発信する目的で、実際に修行の1部を体験する形での撮影となりました。

笙の窟への登拝、勤行、瞑想そして滝行。

ただ「する」のではなく「なぜする」のか。
自然が語りかける言葉に私達はどう応えていけるのか。
祈りのスペルの中には何が宿っているのか。
1つ1つにどんな意味と祈りが込められていて、どこに心を向けるのか?

Body Mind Spirit のボディの箇所が目立ちがちな現状で、最も大切な「心」を向けるべき本来の場所を改めて考える。

修験道、って何ですか?
祈ること、って何ですか?
心、はどこにありますか?

修験道の中に埋もれる多くの日陰の部分に、表に出ない縁の下の力持ちの人達に、光を当てていける場所でありたい、と強く感じさせられる出会いでした。

Anju

タタズマイ

境内の八重桜が満開を迎えました。
お堂周りを歩いていた時に、ふわっと鼻をくすぐる八重桜の香り。
満月が近づく中、より一層香りは強くなってきています。
境内にある銀木犀にも言えることなのですが、花びらに鼻をくっつけても、香りはあまり感じず、ふとした時に遠くからフワッと香ってくる花の香りに、自然の優しさを感じます。
忘れた頃に「あ、ずっと寄り添ってくれてたんだな」と気付く、花の香り。
こういった香りも、私達に寄り添い、祈りに寄り添っている。
私達も、こんな風に人に寄り添える存在でありたいです。
4月7日から始まりました「天武天皇ご念持仏 釈迦如来坐像」特別ご開帳は、昨日17日に無事結願を迎えることができました。
多くの方のご参拝と新たなご縁に感謝申し上げると共に、ご開帳期間中に出仕して下さった、縁の下の力持ちの皆さまへ深く感謝申し上げます。

また4月8日は、お釈迦様の誕生日をお祝いする花まつりが執り行われ、ただたんに「お釈迦様の誕生日を祝う」ことだけでなく、私たち1人1人全ての命を祝福する日、とあらたに意識を強く持って頂けたのではないでしょうか。

すべての命がかけがえなく、すべての人生が尊い。
この命を命がけで生きている日々全てこそ、祈りそのものであり、自分へ人への愛であり、そして感謝と恩返しであるのだと思います。

また4月8日は「SAKURA」についてのプロジェクトとご縁があり、天武天皇 夢見の桜・花まつり法要・そして吉野山の桜を撮影&取材のため、フランスからクルーを迎えることができました。

「祈り」「命」「人生」の観点から見る桜と、桜がもつ浄化力と純粋性。

何でも、目に見える-visual-が目立つ世界ですが、心を震わせる目に見えない-invisible-なインナービューティーの真髄として、吉野山の桜にスポットライトがあたりました。

3か月近くに及ぶ、メールと国際電話による事前打ち合わせの中で、私たち自身も、あらためて「桜」への想い、また日本人のスピリットのルーツに気づかされ、大変貴重な時間をシェアできました。

365日中の360日を準備期間とし、咲くために育む命の時間も美しく、蕾、桜花爛漫、そしてヒラリと散っていくその姿に、人は人生を重ねます。

桜は人生のシンボルであり、生きていく中でREMINDERとしてその姿を見せてくれていること。

人生は想像しているよりもずっと短く、そして息を飲むほど美しくて、命あるからこそ、この命を守りしっかり生きていく使命が私たちにはあります。

その命の時間を、4月8日という特別な日に、SAKURAを通して、国境や言葉や宗教を超えて共有できたこと、まさに「星の王子さま」の言葉達を1つ1つ辿るような想いをシェアできたこと、大変幸せに感じました。

桜だけでなく、植物も自然も、当たり前のように季節を循環し命を育んでいるようで、そこに意識や想いを向けないと、共に寄り添い合わないと、枯れてしまうものであると強く思います。

「天武天皇 夢見の桜」がまさにその象徴ではないでしょうか。
心の向けどころ
意識の向けどころ
結局全ては心があってこそ
想いがあってこそ
当たり前に見えること
当たり前に思っていることに
辿り着くまでの道のりを忘れない
この道を歩み出した時の
初めの第一歩を忘れない
道を歩む心持ち
その心の軸さえ忘れなければ

 

祈りに光が満ちていく

光に祈りが

満ちていく

Anju