GAGA | ブログ@櫻本坊

やまと ことのは つづり

when we look up

下を見るのは、自分がきちんと地に足がついているかを、確認する時。

前を見るのは、進むべき方向を、確認する時。

振り返るのは、歩んでいる道が、ズレていないかを、確認する時。
上を見るのは、悩み迷いながらも、何度打ちのめされても、目標の実現へ向けて「すべて想定内」と、自分の覚悟と決意を、確かめる時。
大峰山上 櫻本坊参籠所へ向かう道
1番右の建物が、櫻本坊参籠所(2枚目)

(櫻本坊行者撮影 2022.06.20)

その先の道に

あなたの背中を押してくれる『道開き香水』づくり 〜幸せを運ぶ 鈴蘭〜 のワークショップにご参加下さった皆さま、23日(木)・26日(日)は誠にありがとうございました。
そして、多大なるご協力を頂きました (株)アトリエパルファン・香りのアトリエ 調香師 ならびに関係者皆さま、心より御礼申し上げます。
神仏とのご縁は、何がきっかけか多種多様・千差万別ですが、その先の道が「光」の方向であるように導くのが、我々社寺の役割です。
櫻本坊では、心の学びを深める様々な場を展開しています。
8月より、新たなプロジェクトを開始致します。
HP・SNSでご案内できます日が楽しみです

真の自由とは

真の自由とは

人として、おさめるべき義務と、責任を果たすうえである「自由」
自分が、ありのまま自分らしくいることに、最初から最後まで責任を持てること、それが「自由」ー

どんどん自由になれる時もあれば、どんどん不自由だと感じる生き方に進んでしまう場合もあります。

そこの大きな違いは、いま自分らしくいれるまでの、ワタシを突き動かしてきたもの、をどれだけ受け入れ、また手離してこれたか…ではないでしょうか。

そこにはきっと、怒りがあり、悲しみがあり、悔しさややるせなさもあり。
でも、それらの感情や経験は、悪いことばかりではありません。

例えば、許すことは、誰か相手を許すことというよりも、怒りを持っている自分を受け入れて、そんな自分をまずは許すこと。

受け入れることも、自由。
手離すことも、自由。

何事も、自分の意志で、選択し、決断していくことが、生きるという行いの根底にあります。

…….
写真は、修行(研修)のワンシーン。
瞑想〜登拝〜沐浴行〜五体投地 礼拝行〜護摩法要、そしてシェアリングと続きました。
ご参加された皆さまの、明日に活かせる気づきや、人への恩送りに結ばれていきますようにー

あなたにとって “HOME” とは

あなたにとって “HOME” とは

「来山(らいざん)」よりも、「帰山(きざん)」という言葉を、我々はよく使います。

場所(家・思い入れのある所・故郷)
人(家族・恋人・師匠・親友)
記憶(思い出)
言葉(約束・スローガン・夢)
感覚(ハグ・懐かしい匂い・音楽)
など…さまざまな形で、“HOME” と呼べる存在があります。

「ただいま」「帰ってきました」とご帰山されるお姿に、「おかえりなさい」とお迎えすることの、社寺としての役割に、あらためて気付かされます。

いつでも、どこにいても、どんなに(距離・時間)離れていても、神仏と繋がっている黄金の糸がある。

各々の日常・社会・家庭で、その糸柱を太くし、輝き磨き続けるために…今日を前向きに生きるチカラを起こす、皆さまにとって、そんな“HOME” でありたいと、微力ではありますが願ってやみません。
……
近年では、お寺への入門を得度受戒会という形で結縁される方が増えています。
得度受戒会で学んだ心構えを、見えない所で共に実行してくださる姿こそ、道を学ぶ者が決して忘れてはいけない姿勢です

人が見ていなくても、天(神仏)は観ていて知っている。そして、自分自身が知っている。
自己との対話は、神仏との会話でもあります。

真の奉仕とは、このような沈黙の部分にこそ、最も光が射し込むように思います。

写真は、大講堂お清めのご奉仕の様子
ありがとうございます
夜の光と香の瞑想時間 於 大講堂

湧出岩

大峰山山上ヶ岳 山頂に坐わす「湧出岩(ゆうしゅついわ)」ー

役行者が祈り出した、修験道ご本尊 蔵王権現が現れた岩です。
大峰山寺本堂から少し上がった場所にあります。