大峰山 入峰修行(登拝)を満行し、里に帰山する行者講で賑わう祝日ー
大峰山開山期間も、半分を過ぎました。
講社だけでなく、個人や仲間で登拝修行され、お参りに立ち寄って下さる方々の目には、峰々のシルエットが映っているように感じます✨
自然を、鏡とするのか。窓とするのか。
鏡とするのであれば、私たち全員の内面にこそ、求めている答えや、目指すべき方向が、写されています✨
今月のイヒカ塾(7/20) 〜「山伏とは」 その歴史~、をご受講下さった皆さま、ありがとうございました✨
人は誰でも、いつでも、どこでも、この世において、精神的な再生・リボーン・リセット・やり直すことができる。
生まれてきたこと、いま生きていること、いま自然や人に生かされていること…その事実に気づき、感謝の気持ちを忘れないかぎり、もう一度、何度でも、私たちは生きながらにして、生まれ変わることができる。
自然から教わることは偉大です。
でも、それだけが100%じゃない。
スーパーマンやヒーローのような生き方を目指すことよりも、現実的で足のついた生活や日常・社会で生きる、1人の人間として、「人として」どう生きるか…そこに向き合うことの意味を、考えさせられます。
本年度の奥駈修行の様子をご紹介✨
道中、靡(なびき)といわれる各箇所で、碑伝(ひで)というお札を納め、修行者全員で勤行をしていきますー
その靡(なびき)のほとんどには、形として目に見える「祠」や「お社」「仏像」がありません。
「何もない」ところに手を合わせる。
何かと対立関係にあるのではなく、何かと向き合っているのではなく、大自然の「中」で唱えられる勤行。
自我や意識の境界線が薄くなり、拝んでいる自分という存在が、山の中に溶けるような、不思議な感覚に陥る、とよく伺います。
残るのは「読経」ー
空間の中に浮かぶ「声」と「言葉」ー
歩いている時、各々の目的・経験など、みなバラバラななか、修行者の結集や一体感、同じ方向へ想いを向けさせる、靡(なびき)の存在と、勤行の真意に触れる体験。
Photo by Banri