GAGA | ブログ@櫻本坊

やまと ことのは つづり

いっしん

週末は、行者講帰山が重なる、夏の修行シーズン
一心: 各々の想いを神仏へ届けるために、心をひとつに、言霊を唱える。
その想いは、誰かのためであり、自らとの約束のためであり、次に繋げていきたい世代のためであり。
自然が教えてくれる、人間として大切なこと。

あるのは答えではなく「提案」

あるのは答えではなく「提案」ー

吉野山から大峯山頂に向けての道には、代表的な4つの門(*)があります。

3つ目の門、「等覚門(とうかくもん)」-

発心門で、自らの意志で、善い行いを積み重ねていくための努力を選択し、修行門から長い長い道のりを歩み続ける先に、見えてくる、等覚門。

悟りとは、決してゴールではなく、目的地でもなく…人間の本来の在り方に、気づき出すスタート地点です。
自らの、存在・行動・態度・考え・言葉…それらの真理が見え始め、なすべきことが見えてくる地点。

つまり、どんどんどんどん、「謙虚さ」の重みと尊さが、自然とすべての言動に反映されていく、等覚門から先の歩み方。

たった一人で、修行はできません。
修行を、させてもらえることの有り難さ、を深める。
いかに多くの方の理解と協力と、自然の偉大な恵みが、自身の生命を生かしてくれているか、を実感する。

実るほど頭を垂れる稲穂のようになるのか、空虚な裸の王様を謳歌していくのか。

なにを求め、なにを求められているか、その判断が明暗を分けていく。

それぞれの門の存在が問いかける、その問いに、どう答えていきますか?

……
4つの門(*):
吉野山入山の折の「発心門(善いことを求める心を自分で起こしていく)」〜金峯神社前に「修行門(修行に入る)」〜 大峰山中に 「等覚門(悟りに入る)」〜そして、大峯山寺本堂直前に「妙覚門(悟りが深まる)」が続きます。

(写真: 櫻本坊行者撮影 2022.06.20)

みなが、実践者

みなが、実践者

ひとりひとりにとって、何をもって「修行」と呼ぶかは、十人十色

山に入ること、なのか。
山を歩くこと、なのか。
山頂に辿り着くこと、なのか。

写経写仏をすること、なのか。
沐浴行をすること、なのか。
瞑想をすること、なのか。
もっといえば、社寺に向かうこと、なのか。

修行、はその漢字の通り、「生きる行いを修める」ことです。

人間の間で、人として、日常・家庭・社会・人生を生きることは、形のない…最も尊く、シンプルで、難しい「行い」。

そこに持って帰り活かせる気付きを、あくまでも「提案」するのが、我々社寺の大切な役割のひとつです。

何をもって「修行」と呼ぶのかー

他者の物差し・評価や、動作の大小ではなく、自分自身で決めて、誠実に実践し続ければいい。

天(神仏)が知っていて、自分自身が知っていて、愛する人たちが知ってくれているだけで、充分以上に…意味と意義のあること、ではないでしょうか

……
JALのワーケーション体験の取材・撮影にご協力させて頂きました。関係者皆様、ありがとうございました。

動画: 世界遺産「吉野山」でJAL社員が心身浄化!?絶景と修行でリフレッシュ【奈良県】↓
https://m.youtube.com/watch?v=gNDKc1DqWY8

語られないことほど、語られていく

語られないことほど、語られていくー

表に出る部分・言葉で語られること、がすべてではありません。
表に出ない部分、目に見えない所・人の目に触れない時間にこそ、大切な心得がたくさん満ちています。

櫻本坊では、形や型・作法の法灯継承に努めると同時に、もしくはそれ以上に、「人として生きるうえで大事なこと」「行者の心構えの最も基礎の部分」を、伝えていく。

当たり前のことほど、人は忘れ、見くびり、ないがしろにしてしまいます。

心、は見えないから、どう伝えれることができるのか、常に考えさせられますが、心ほど、すべてに現れるほど分かりやすいものもないな、と日々観じることです。
写真は、境内作務ご奉仕の様子
暑い中ありがとうございます

when we look up

下を見るのは、自分がきちんと地に足がついているかを、確認する時。

前を見るのは、進むべき方向を、確認する時。

振り返るのは、歩んでいる道が、ズレていないかを、確認する時。
上を見るのは、悩み迷いながらも、何度打ちのめされても、目標の実現へ向けて「すべて想定内」と、自分の覚悟と決意を、確かめる時。
大峰山上 櫻本坊参籠所へ向かう道
1番右の建物が、櫻本坊参籠所(2枚目)

(櫻本坊行者撮影 2022.06.20)