GAGA | ブログ@櫻本坊

やまと ことのは つづり

きほんの「き」

きほんの「き」

櫻本坊では「心の教育」部分も重要視しています。

得度式や、各行事 法要神事を通して問われる「心構え」「心の向ける方向」は当然ですが、では、普段の当たり前から擦り込んでいく「想いやり」の心とは-
「当たり前、出来ていますか?」

どの社会でも、最も基本で、最も大切な当たり前、「挨拶」

「挨拶」は禅語で「相手に積極的に歩み寄り(近付き)、相手の心を開き、自分の心を投じ感じて貰う」という意味が含まれます。

かといって、では大きな声で単純に挨拶をすれば良い訳でもなく、状況や環境によっては、声ではなく、アイコンタクトや会釈 笑顔 雰囲気など、相手へ伝えたい自分の想いが形として表れます。

結局はそこに「心」があるかないか。

挨拶一つで、そこに込められる想い一つで、その場にいるお互いの貴重な時間と関係性が、気持ち良くも不愉快にも転じることがある。

ここにも、劇団四季の「慣れ だれ 崩れ」の精神と、その人の「後ろ姿」を見させて頂く機会があります。

同じ「時間」をどう過ごすかは、私たちは皆 選択することができる。

当たり前を、当たり前にする。
基本ができていないと、何をしても結局は伝わらないことが多くある…のを痛感します。

Anju

*実るほど頭を垂れる稲穂かな

「命の使い方」を知る ~甲南大学「死生学」講義②~

「命の使い方」を知る

先週に続き、本日26日は非常勤講師として、兵庫県 甲南大学 「死生学 〜日本の死生観〜」の講義今年は90人の学生さん達が授業をとっているとお聞きしました。

今週は、もっと身近な 愛する人 大切な人の死とどう向き合い、どう「生と死」を捉えていくか…「命の使い方」についてお話する90分。

「今を生きなさい」「命を大事にしなさい」
そう言われても、実際どうすればいいのか分からない。
でも、毎日の何気ないすべての瞬間に、できることがあります。

「おはよう」「おやすみ」「おはよう」
「行ってらっしゃい」「行ってきます」「ただいま」「おかえり」

返ってくる返事。

言霊に込められる愛。
誰かから向けられる 誰かに向ける「祈り」-

言葉を大切に、何気ない日々の当たり前に幸せを感じてほしい。
今隣で笑っている人の命が、明日もあるとは約束されていません

悲しみを消したり肯定することはできなくても、悲しみに寄り添い、「今」を肯定的に生きる選択はできるはず。
学生さん達からのフィードバックやコメント 感想欄には、「重かった」という言葉が毎年返ってきます。

その「重み」「深み」を感じて頂くことこそ、死生観の1つだと感じています。
命は決して軽いものではないから。
そしてその「命の重み」は、感じて頂いた学生さん1人1人にも、全く同じようにあるということ。

学生さん達から向けられる真摯な眼差し、多感な時期であるからこそ、全ての経験を味わいながら、それぞれの「使命-命の使い方-」を見出し、今を生きていってほしい。

そんな願いを込めながら…毎年その眼差しと向き合えることに、感謝で一杯です

Anju

塵ひとつない世界

塵ひとつない世界

お祭りが「感謝」で始まり「感謝」で終わるなか、日々の全ての基本は「清め」で始まり「清め」で終わります。

清め=お掃除をすることは、最も大切な心得です。それは年齢や立場や肩書きによって左右されるものではなく、全員の役割です。また、掃除に終わりはなく、修行に終わりはありません。

「無心になる」ことを1番教えられる時間は、掃除の中にあり、自分の心の中の「ざわざわ」に気付き向き合う時間。

神仏が御坐す聖域-
人間が簡単に立ち入れない「結界」の向こう側の世界は、常に清められ「塵ひとつない」世界
この精神は、茶道の「無塵(むじん)」の世界観にも見られます。

その「無塵の世界」の手前で、可能な限り六根清浄を繰り返しながら、人間として生きている私たち。

清らかなだけでは生きにくい社会の中で、いかに自身の蓮の華を咲かせていくか。そしてその華を咲かせてくれるのは、紛れも無い「泥沼」でもあるということ。

泥沼は、尊い
そして、泥沼は、もがけばもがくほど濁っていきますが、静かに「受け入れ」穏やかであればあるほど、透明度は増していきます。

立つ鳥跡を濁さず、の精神で、真っ先に掃除から始まり掃除で終わる毎日です
Anju

いのちはまわる 〜甲南大学「死生学」講義①〜

いのちはまわる 〜1日として同じ日はない〜

本日19日は、兵庫県 甲南大学での講義
去年より、非常勤講師として「死生学」の講義 「日本の死生観」のパートを、担当させて頂いております。
様々な分野の教授 研究者 博士の方々が、それぞれの観点から捉える「死生観」-

20歳になるかならないかの「現代を生きる」学生さん達にお伝えしたい、日本の神仏習合の精神性を盛り込みながら、「生きること」「死ぬこと」「命の捉え方」についてお話する90分。

祈りと命は「一如」

どこまでも透明な 星空を見上げた時の胸の高鳴り
花の美しさ 風の色 太陽の暖かさ 雲の動きとカタチ 雨の音 土のにおい 水の流れ…そんな何気ない自然のイノチの動き

偉大な自然との共存の中に、私たちの生命は満ち、絶えず祈られ生かされている私たちの「いのち」-
まさにサークルオブライフの極意。

「祈り」は「宗教」という枠にだけ当てはまるものではないと考えています。

私たちの生命は、どこから来てどこへ向かうのか。
「今」あなたの生命は、どこに在るのか。

極めて現実的で「実践的」である修験道の世界観から、「死」をメインにお伝えするのではなく、「生」を前向きに見つめ直して頂き、「明日からではなく、今から出来ること」を考えるきっかけになれば幸いです

講義は来週も続きます

Anju

感謝と喜び 穏やかさに包まれて

感謝と喜び 穏やかさに包まれて

昨日17日、天武天皇ご神像 御扉を閉じさせて頂きました。
ご開扉中にご参拝され ご縁をお結び頂きました皆様、また連日ご出仕下さいました行者の皆様に深く、深く感謝申し上げます。

御扉を閉じさせて頂く祭礼のさい、感謝の気持ちと同時に溢れる、「来年も滞りなくご開扉できますように」という未来への願い-

ご奉仕させて頂ける者 全員が、来年もまた健康で笑顔で、御神像にお会いできますように、毎年想うことです
命あるからこそ…愛おしい命に感謝がこみ上げる瞬間でもあります。

祭礼 法要 神事は、同じことの繰り返し。
何年 何十年 何百年 何千年と繰り返し捧げられてきた、祈りのエッセンス。

そしてそれは、日々のひたむきな「つとめ」の積み重ねによって、実現できるものだと実感します。

神仏と築き上げられてきた/いく「確たる信頼関係」「光の柱の太さ」「糸の絆」

櫻本坊から発信される祈りと想いが、1人でも多くの方の心を、日月星のごとく照らしていけますよう…櫻本坊自身の光を、さらに磨いていく所存です

Anju
*写真は大講堂からの紅葉の景色です