大峯山 入峰修行を満行し、里に帰山する講社で賑わう日曜日の様子ー
特に7月は、猛暑の中での登拝☀️
皆さま本当にお疲れ様でした⛰️
GAGA | ブログ@櫻本坊
やまと ことのは つづり
優しさを求めてもいい
登拝修行へ向かう日の、本堂前✨⛰️
「修行がしたい。何ができますか?」
もちろん、時や場所、またその人にとって、「厳しさ」が必要な場合もあります。
しかし、多くの場合、忘れてはいけないのが、
既に、充分、社会で荒行をされているということ。
人間として生きることが、そもそもどれほど大変なことか、ということ。
何かしなければならない。
何歳までに、こうあらねばならない。
認められなければならない。
もっともっと求めなければならない。
毎日、充分、頑張っている。
頑張りすぎている、それが現代人かもしれません。
ですので、「優しさ」を求めてもいい。
スピードをそっと、緩めてみてもいい。
見過ごしそうになっていた大切なもの・気持ち・人の存在…本質を、取り戻せなくなる前に、気づけるように。
「修行(体験)で来たけど、なんか全身の力が抜けて、癒された。」
「初めは緊張していたけど、気持ちを整理できる時間となって、スッとした。」
優しさを求めても、いい。
深呼吸を促す自然の力に、心身を委ねられる時間の贅沢さを、特に感じる緑色の季節⛰️✨
金曜日早朝は、天川村洞川架線場から、大峰山上参籠所へ上げる荷物(食料や物資)を届ける日ー
風が涼しく、爽やかで気持ちの良い早朝の洞川⛰️
架線場から大峯山上の方向を見上げる度に、あんな山の上の大変な場所に、いくつも建物が建っているなんて…と今だに驚かされます。
週末に登拝修行を控えていらっしゃる皆さま、何卒お気をつけてご登拝ください🌞
聖地巡礼「弥山」登拝修行ご案内
聖地巡礼「弥山」登拝修行ご案内
〜1泊2日コース 女性大歓迎!〜
開催日: 令和7年9月14日(日)~15日(祝・月)
吉野~熊野に至る、約100km近い距離で繋がる、奥駈道。この道中には、75か所の靡(なびき)と呼ばれる霊場があります。その第54番目が、紀伊半島のど真ん中に位置する1895mの高山、「弥山」。
この山の名は、古代インドの世界観で「宇宙の中心にそびえ立つ」とされた“須弥山”に因むとされ、その山頂には天国があると憧れられた通り、実際に登るほどに、更に上へ上へ景色が伸びていくような、不思議な感覚に包まれます。
晴れた日は、同じ目線で拝むご来光、自分も星のひとつになったような夜空に、私たちも自然の一部であったことを思い出させてくれる、雄大な姿。
この度の巡礼では、弥山山頂にある天川大辨財天社奥の院(弥山神社)参拝、また南側に同じく聳える、役行者が法華経八巻を石鉢に入れ奉納された八経ヶ岳(標高1914m・近畿最高峰)を参拝します。
近畿地方で、最も空に近い場所に立って、手と心を、思いっきり伸ばしてみませんか。
山の修行が初めての方を含め、誰にとっても、いろんな形で楽しめる山、弥山。
皆様のご参加を心よりお待ち申し上げます。
行程詳細・お申し込み方法は、当院HPよりご確認ください✨✨✨
https://sakuramotobou.or.jp/event/2025/2025091415.html
「修行」という言葉に捉われない
形のある修行と、形のない修行。
お釈迦さまが、菩提樹のもとで悟りを得られて、真っ先に人に伝えた説法が、まさに修行の本当の意味について、でした。
日常生活や社会を切り離して、目の前に時間・場所・次第・道具・手段(方法論)を提供され、何かを行う、その行為(作法)そのものだけが、修行ではありません。
特定の形・時間・空間に限られている「やり方」ではなく、ありとあらゆる形・空間・時間に通じる「在り方」こそが、最も根本的な修行の精神である、ということ。
「分かる」「できる」…頭で理解するだけでは意味のない、「形ある修行」。
その「分かった」こと「できた」ことを、日常・社会で生きる「形のない修行」の中で実現しないと、その知識は単なる理屈・空想・趣味となりかねません。
結局最後は、今この時、この環境、この場所で、コツコツと真面目に懸命に、人間としてどう生きるか。周りの人たちと一緒に、どう、誠実な想いを繋げていくか。
「修行」という言葉に捉われない。
毎日、日々、「生きる行いを修める」ことの積み重ねを、大切に。
写真は、夏の作務のひとつ、境内の草抜き✨
形なき修行(陰徳を積む)にご同行下さる方々の存在に、深い感謝をこめて。