GAGA | ブログ@櫻本坊

やまと ことのは つづり

足元にこそある大切な導き

足元にこそある大切な導き

当山では、小中高生を対象とした「体験学習」の受け入れも長年しております。
*日時・内容は要相談 要予約
写真は、止観瞑想を体験する前の、事前説明と心構えをお伝えしている様子と、本堂内での実際の体験中の様子です。

学生さん達には、単純に「瞑想」の意味や方法を説明するのではなく、「今を生きる」ことの大切さや、「ありがとう」の言葉の重み、「当たり前」のかけがえのなさ…何より「生命(いのち)」とは?を、内観することで肯定的に捉えていって頂けるように、「死生観」「心」のお話を交えてお伝えしています。

大人になるにつれ、社会で揉まれていくうちに、私たちは、初心・人を思いやる気持ち・当たり前への感謝を忘れがちです。
そんな現実に出会った時、自分の足元を見てほしい。

植物や小さな虫…産まれてから今この瞬間まで、ひとつも踏まずに、歩いてこれましたか?
今日何回「ありがとう」って言いましたか?
意識したこと、ありますか?
数えたこと、ありますか?

自分の足元を見ることの大切さ。
人間としての、大切なこと。
全てに宿る、生命の重みを知る。
自分が今…何の命の営みの上に立っているのかを知る。

どんなに辛い状況に陥っても、1日1回多く「ありがとう」を伝えれるような、心の在り方を目指す。

生きることを「受け身」とせず、「自発的」に意識して生きる。そして内にある肯定的な想いを、外に発信していく。そのための気付きを、感じて頂ける体験を目指しています。

学生さん達の、真摯な眼差しとキラキラした笑顔、そして素直で純粋なその想いと姿勢に毎回感謝の気持ちでいっぱいになると同時に、皆さんの未来が、幸せを真っ先に感じれる人生でありますように…と願ってやみません。

Anju
大講堂に毎日遊びに来てくれる青い鳥です。幸せの空間…幸せの連鎖!

「優しさ」は真の強さ

「優しさ」は真の強さ

“Having a soft heart in a cruel world is courage, not weakness.”

さまざまな修行や訓練、啓発が世の中には溢れていますが、その中でも「自分の心を強くしたい」という想いを、目標とされる方が多いかと思われます。

その強さを「不動心」と呼ぶこともあれば、「許し」と捉えることもあり、誰かを打ちのめすための力ではなく、己の弱さや限界を越えるための力として、私たち人類は「強さとは?」を永遠の課題としています。

祈りの現場で日々感じることは、人間として産まれ生きている限り、「何も感じない」強さを求めるために修行をしてしまうと、本来の目的とズレてしまうということ。

生きていると、色々なことと日々直面します。
それが日常の何気ないこと、もしくは生死に関わること、出来事の大小はあったとしても、その時、何をどう感じるかの先に必ずある、どう捉え動いていくか…が重要ではないでしょうか。

悲しみ 苦しみ 辛さ 嫉妬 無力感 悔しさ 矛盾に対する怒り…それ以上に満ちる喜び 嬉しさ 暖かさ 感動 愛おしさ 思いやり お互い様という許し。

感じることに素直であり、その感情とどう向き合い、他者へ恩返ししていけるだろうか。

他者の痛みを知り、その想いに寄り添う優しさや言霊は、何も感じない人間の“強さ”からは発信されません。

日本精神のひとつである「おもてなし」文化も、優しさという強さだと思います。

相手の全てを受け入れて、もてなす。
もてなされる側も、その気持ちを受け入れて、次は他者へペイフォワードを実践していく。

全ての感情を「感じること」、全ての人・物事を「受け入れること」は、難しい。難しいからこそ、それを受け取り…必要であれば手放す勇気が、強さとなります。

そして、正直者と真面目な者が損をする…そう言われる社会で、それでも優しさの心を向け続けることは、弱さではなく、真の強さ…と信じてやみません。
Anju

自分軸とは

自分軸とは

「自身の心が穏やかで調和であれば、渋谷のスクランブル交差点を歩きながらでも、瞑想はできる。場所や環境じゃないんだよ。全ては心しだい。」

2012年に来山くださった、インドのスワミー・ヨーガスワルーバーナンダ師の言葉が今も強烈に残っています。

禅・メディテーション・瞑想、様々な呼び方 方法 形がありますが、目的は共通しています。

自身の心の中を「内観(ないかん)」することに、全て繋がります。

明日ではなく「今」できる「今」しかない「今」を生きることに集中し、自分の生命を感じるための内観、それが瞑想。

瞑想の印象として「何も考えない」「何もしない」、ただ黙って静かにしていると「何か気づかせて貰える」…
受け身な行為と捉えられがちですが、実際は、五感を澄ますからこそ湧き出る本当の想い・感情・気持ち・思考があります。

その湧き出てくるものに、自発的に気づいていくことに、意味があります。そして、自身の人生で何を大切にし、誰を大切に想い、自分らしい生き方とは何か、その気づきを肯定的に捉えていきます

瞑想は、一般的に坐って行う形が知られていますが、立ちながら行う瞑想・お経や真言を唱えながら行う瞑想・歩きながら行う瞑想・光や音 香りを用いて行う瞑想、もっと身近でいうと、生活そのもの(掃除・料理・食事・挨拶・会話・仕事・学業)に至るまでがすべて瞑想です

自然と共生する私たち人間は、本来どう在るべきか、に気づくことで、社会・人間関係・人生において、人としていかに自他に思いやりと感謝を持って生きていけるか…日常生活へ活かしていく「心構え」へと結ぶ「修行」の一環。

櫻本坊では「止観瞑想」を体験して頂ける日を定期的に設けています。吉野山の豊かで厳しさののこる自然に身を置き、「今ある」時間に気付く。

今日という日を肯定的に捉えていけるように、日常のかけがえのない幸せに結ばれていくように…そっとご参拝の方の背中を押せる…そのような場でありたいと、日々願っております。

お寺で癒(い)よう秋期スケジュール↓
https://sakuramotobou.or.jp/event/2020/healing-in-temple2020fall.html

Anju

金毘羅大権現 祭礼

金毘羅大権現 祭礼

毎年10月10日、当山境内 天武天皇 夢見の桜の側に御坐す、金毘羅大権現の祭礼が地域の皆さまと共に斎行されます。
今年は、役員代表者のみで斎行させて頂きました。
吉野山の氏神様である金峯神社の神様を守る、「運行/運航」の神仏であられる金毘羅大権現

秋は日本中で、自然の恵みに感謝し、自然との共存を祝福する祭礼が行われます。
本年は多くが縮小という形になっておりますが、最も大切な「神事 祭礼 法要 護摩」、神仏へ捧げられる祈りは、厳粛に粛々と行われています。

人の目に触れる触れない関係なく、極端に言えば、参拝者が零であっても百であったとしても、神仏へ向けられる真心と準備は、常に同じ。

心があるところに、祈りがある。
その神髄の原点と、しかと向き合う2020年-

Anju

後悔はのこるもの

後悔はのこるもの

私たちが生きているのは常に「今」ですが、私たち人間は「考える」生き物であり、「感じる」ことの偉大さを忘れがちです。

目の前の当たり前があるのは、「いま」という瞬間の積み重ね。「いま」という瞬間「感じる」ことが、心と人生をつくっています。

後悔がないようにどれだけ生きていても、どこかで何かしらの後悔はのこる。

後悔も、生きること…「死生観」の一部ではないでしょうか。
過去と未来について考えることも大切ですが、今、できることがあり、今、共にあるものがある。

いずれ後悔がのこってしまうとしても、今、感じて 観て 生きて 選択することに、後悔がないようにする。

「後悔がないように生きる」よりも「後悔があるのが人生だから。じゃあ今どうベストを尽くしていけるかな」と想う方が、生き苦しさ(息苦しさ)は減ります。

今、今日、皆様は何を感じ、決断して、生きますか?

Anju